甲陽軍鑑 / 品第四十
其後工夫を被成、新軍法其外諸法度の仕置をあそばし給ふ事皆是信玄公と合て四大將何も取合故也、さるにつき軍法は先當代四大將よりはしまる、むかしはありといへ共、尊氏公四代目の御時分からして連々取失たるとみへ候、軍法の儀は信玄公·謙信公兩君なれ共、
新字:其後工夫を被成、新軍法其外諸法度の仕置をあそばし給ふ事皆是信玄公と合て四大将何も取合故也、さるにつき軍法は先当代四大将よりはしまる、むかしはありといへ共、尊氏公四代目の御時分からして連々取失たるとみへ候、軍法の儀は信玄公·謙信公両君なれ共、
書き下し
其後工夫を被成、新軍法其外諸法度の仕置をあそばし給ふ事皆是信玄公と合て四大将何も取合故也、さるにつき軍法は先当代四大将よりはしまる、むかしはありといへ共、尊氏公四代目の御時分からして連々取失たるとみへ候、軍法の儀は信玄公·謙信公両君なれ共、
現代語訳
その後に工夫をなされ、新しい軍法その他の諸法度の仕置きを遊ばされた事は、みなこれ信玄公と合わせて四大将がいずれも取り合うゆえである。それにつけて、軍法はまず当代の四大将から始まる。昔はあったといっても、尊氏公の四代目の御時分からしてだんだんと取り失ったと見えます。軍法の儀は信玄公・謙信公の両君であるけれども。
解説
軍法は昔からあったのではなく、この時代の四人の大将から始まったという見方。しかも互いに取り合ったからこそ生まれたのだとされる。強い相手がいて初めて技が育つという、前に出てきた見立てがここでも繰り返されている。強い相手がいて初めて技が育つという、前に出てきた見立てがここでも繰り返されている。軍法は互いに取り合ったからこそ生まれたという。
この章句が説くこと
軍法四大将尊氏取合起源信玄
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