甲陽軍鑑 / 品第四十
見田が樣成侍をば命を助け、少の扶持かたあたゆるは大成恩賞也、但し敵をしても己が身上つぶれずして降參仕る侍をば、かたのごとく念比して置は國持大將の專ら工夫の上致す義、降參の侍是も忠節の中也と信玄公仰出され、
新字:見田が様成侍をば命を助け、少の扶持かたあたゆるは大成恩賞也、但し敵をしても己が身上つぶれずして降参仕る侍をば、かたのごとく念比して置は国持大将の専ら工夫の上致す義、降参の侍是も忠節の中也と信玄公仰出され、
書き下し
見田が様成侍をば命を助け、少の扶持かたあたゆるは大成恩賞也、但し敵をしても己が身上つぶれずして降参仕る侍をば、かたのごとく念比して置は国持大将の専ら工夫の上致す義、降参の侍是も忠節の中也と信玄公仰出され、
現代語訳
見田のような侍は、命を助けて少しの扶持を与えるのが大きな恩賞である。ただし敵をしても自分の身上が潰れずに降参いたす侍は、形のとおり懇ろにして置くのは国持ちの大将のもっぱらの工夫の上でいたす義である。降参の侍、これも忠節のうちであると信玄公が仰せ出された。
解説
落ちぶれてから来た者と、身上を保ったまま降参してきた者を分ける。前者には命と少しの扶持で十分な恩賞、後者は懇ろに扱う。降参もまた忠節のうちだという一言で、敵だった者を受け入れる筋道が示されている。降参もまた忠節のうちだという一言で、敵だった者を受け入れる筋道が示されている。落ちてから来た者と、保ったまま来た者を分けている。
この章句が説くこと
降参忠節恩賞扶持見田選別
関連する章句
-
『甲陽軍鑑』品第四十本知を下され候へば辱なく存知、御譜代の衆にも同前に其身も存知、上様も左様思召、殊に大熊輝虎の機にちがひ甲州へ参候て山県同心に也数度の手抦故、出頭小宰相の婿に仰付られ取立給ふ故、是も御譜代のごとくなり、それを上杉扇谷老四人の内、見田と申侍聞候て甲州へ参り、長坂長閑·跡部大炊介を頼、御家へ奉公に罷出る、信玄公かこへ置給へど切符少づゝにて召置ると、長坂長閑信玄公へ申上る、越後牢人大熊なみに見田をも御取立あれかしと言上いたせば、
-
『甲陽軍鑑』品第四十そこにて信玄公御諚に、一年某北条氏康·氏政父子に頼まれ松山発向の時、輝虎を引出したるは大田三楽と彼見田なり、其節悉皆某分別を以て北条家理にせられ、終には件の見田如此牢々仕る、さ有て侍は侍を頼むならひにてかゝへ置、但し一度敵したる者を取立、大身にするならば、真田·小幡·大熊存分に敵仕たる見田さへ如此なれば我等式御恩も、さのみ恭なき事にてなしと思はん義道理也、
-
『甲陽軍鑑』品第四十高坂こたへていはく、信玄公の人取立給ふに、真田一徳村上におしたをされ、牢々なるをとり立、本知を下され、或は小幡上総謙信に背きて、是も牢々して甲州へ参りたるをかゝへ置、上野をおさめ取立、
-
『甲陽軍鑑』品第四十高坂答へていはく、上杉則政公そでもなき人を取立給ふ故、悪しき者は必ず善事あればおごり、あしき事にはめり、意地不雅意なきをもつて、善悪のわきまへもなく仕合よき時、こくうにおごり、うかへたるかほにて人に慮外いたし候、其ごとくなる侍を則政公取立給ひつる故、諸人あなづりてこそ有つらめ、殊に信玄公は取立なさるゝほどの衆、日を追て慇懃に奉公を勵まし、心がけもよく候て諸傍輩のそしるべきやうさらにこれなしと真田喜兵衛に高坂弾正をしゆるなり、
-
『甲陽軍鑑』品第四十八信玄公広瀨郷左衛門·みしな肥前·こすげ五郎兵衛、此時代の物をば山県三郎兵衛家中によらず、御分国の諸家中にて老功のおほへある者には十双倍馳走まします仔細は、老功の者は信虎公への奉行半分、信玄公御代に半分わけ〳〵なるが、右三人時代の者はみな信玄公へばかりの忠節忠功の故念比し給ふ、味各別なり、かやうに有て大将の御徳おほし、さりながら又前代の者をも少も愚成様子は無御座者なり、前代の忠功と我取立の忠功とは、取立は先づ心安く、其上我時代の大将をば下々の侍も一入威光つよく申者なり、大小·上下共に武士はことば一ツにても其勝負まつたく、又あやうきこともあり、下として上をはからふ事なしとは申せども、
-
『甲陽軍鑑』品第四十就中よき武士他国より来る類親なき者、手がらの儀ひいき〳〵に申につき、信玄公度々御諚に、おのれがぬき出たる手がらをして、大略にいはるゝは、何程口惜からんと分別してみよ、そこの程をかんがうる者は、かならず中悪き人の事をも、ありように云ふを、其手抦をそしらぬ侍の我身にかけて大きなる武篇をいたす儀と、又よし贔負おほうして種々作ことをいひ、