甲陽軍鑑 / 品第四十八
信玄公廣瀨郷左衞門·みしな肥前·こすげ五郞兵衞、此時代の物をば山縣三郞兵衞家中によらず、御分國の諸家中にて老功のおほへある者には十双倍馳走まします仔細は、老功の者は信虎公への奉行半分、信玄公御代に半分わけ〳〵なるが、右三人時代の者はみな信玄公へばかりの忠節忠功の故念比し給ふ、味各別なり、かやうに有て大將の御德おほし、さりながら又前代の者をも少も愚成樣子は無御座者なり、前代の忠功と我取立の忠功とは、取立は先づ心安く、其上我時代の大將をば下々の侍も一入威光つよく申者なり、大小·上下共に武士はことば一ツにても其勝負まつたく、又あやうきこともあり、下として上をはからふ事なしとは申せども、
新字:信玄公広瀨郷左衛門·みしな肥前·こすげ五郎兵衛、此時代の物をば山県三郎兵衛家中によらず、御分国の諸家中にて老功のおほへある者には十双倍馳走まします仔細は、老功の者は信虎公への奉行半分、信玄公御代に半分わけ〳〵なるが、右三人時代の者はみな信玄公へばかりの忠節忠功の故念比し給ふ、味各別なり、かやうに有て大将の御徳おほし、さりながら又前代の者をも少も愚成様子は無御座者なり、前代の忠功と我取立の忠功とは、取立は先づ心安く、其上我時代の大将をば下々の侍も一入威光つよく申者なり、大小·上下共に武士はことば一ツにても其勝負まつたく、又あやうきこともあり、下として上をはからふ事なしとは申せども、
書き下し
信玄公広瀨郷左衛門·みしな肥前·こすげ五郎兵衛、此時代の物をば山県三郎兵衛家中によらず、御分国の諸家中にて老功のおほへある者には十双倍馳走まします仔細は、老功の者は信虎公への奉行半分、信玄公御代に半分わけ〳〵なるが、右三人時代の者はみな信玄公へばかりの忠節忠功の故念比し給ふ、味各別なり、かやうに有て大将の御徳おほし、さりながら又前代の者をも少も愚成様子は無御座者なり、前代の忠功と我取立の忠功とは、取立は先づ心安く、其上我時代の大将をば下々の侍も一入威光つよく申者なり、大小·上下共に武士はことば一ツにても其勝負まつたく、又あやうきこともあり、下として上をはからふ事なしとは申せども、
現代語訳
信玄公は、広瀬郷左衛門・三品肥前・小菅五郎兵衛、この時代の者をば、山県三郎兵衛の家中によらず、御分国の諸家中にて老功の覚えある者には十双倍の馳走をまします。子細は、老功の者は信虎公への奉公が半分、信玄公御代に半分と分け分けなるが、右の三人、時代の者はみな信玄公へばかりの忠節・忠功のゆえに懇ろにし給う。味は各別なり。かようにあって大将の御徳が多し。さりながら、また前代の者をも少しも愚かなる様子は御座なき者なり。前代の忠功と我が取り立ての忠功とは、取り立ては先ず心安く、そのうえ我が時代の大将をば下々の侍も一入威光つよく申す者なり。大小・上下ともに武士は言葉一つにてもその勝負が全く、またあやうき事もあり。下として上を計らう事なしとは申せども。
解説
この章句が説くこと
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