甲陽軍鑑 / 品第四十
殊更おのこゞの武篇走廻る事老若によらず五百·千ある一備の中より二人·三人すぐれて、せり合の塲、或ひは城へ取よするにも、ふりのみごとにこたへたる侍は、一度にても剛の兵と名つげておぼへの人と申さん、子細は、せりあひに勝負なくしての儀、城へ取よするに、まきたる城をせめずしてまきほくすは、大將ひとりの下知故なれば小身なる各はからひにならず候、然る所に、のくにもかゝるにも五百·千にぬきいづる人は英雄と申して、むかしからほめたるげに候、
新字:殊更おのこゞの武篇走廻る事老若によらず五百·千ある一備の中より二人·三人すぐれて、せり合の塲、或ひは城へ取よするにも、ふりのみごとにこたへたる侍は、一度にても剛の兵と名つげておぼへの人と申さん、子細は、せりあひに勝負なくしての儀、城へ取よするに、まきたる城をせめずしてまきほくすは、大将ひとりの下知故なれば小身なる各はからひにならず候、然る所に、のくにもかゝるにも五百·千にぬきいづる人は英雄と申して、むかしからほめたるげに候、
書き下し
殊更おのこゞの武篇走廻る事老若によらず五百·千ある一備の中より二人·三人すぐれて、せり合の塲、或ひは城へ取よするにも、ふりのみごとにこたへたる侍は、一度にても剛の兵と名つげておぼへの人と申さん、子細は、せりあひに勝負なくしての儀、城へ取よするに、まきたる城をせめずしてまきほくすは、大将ひとりの下知故なれば小身なる各はからひにならず候、然る所に、のくにもかゝるにも五百·千にぬきいづる人は英雄と申して、むかしからほめたるげに候、
現代語訳
ことさら男どもの武辺の走り回る事は、老若によらず、五百・千ある一備えの中から二人・三人がすぐれて、競り合いの場、あるいは城へ取り寄せるにも、振りが見事にこらえた侍は、一度であっても剛の兵と名付けて覚えの人と申そう。子細は、競り合いに勝負がなくての儀、城へ取り寄せるのに、包囲した城を攻めずに囲みを解くのは、大将ひとりの下知ゆえであるから、小身のそれぞれの計らいにはならない。しかるところに、退くにも掛かるにも五百・千の中から抜け出る人は英雄と申して、昔から褒めたそうである。
解説

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