甲陽軍鑑 / 品第四十
馬塲美濃守又おのこどの利口者とさたするは、はなしうちの成敗者一二度、或は少の足輕、又はせりあひにかたき弓·鐵炮なとにて、人なみに少しすぐれて味方の鑓あはする剛の者の一二間後につどきて罷有が、殊更大合戰にもすぐれたる武士の鑓を始むる二三人の手抦にて、敵·味方五百·六百のうちに也、追くつす時其かちたる方にて、若者の初陣などいたしにぐる敵といへ共、切あふて辛勞仕り取子にたる頸は、追付頸とは申せ共、少しふりよくして是を利口者と申ものなり、
新字:馬塲美濃守又おのこどの利口者とさたするは、はなしうちの成敗者一二度、或は少の足軽、又はせりあひにかたき弓·鉄炮なとにて、人なみに少しすぐれて味方の鑓あはする剛の者の一二間後につどきて罷有が、殊更大合戦にもすぐれたる武士の鑓を始むる二三人の手抦にて、敵·味方五百·六百のうちに也、追くつす時其かちたる方にて、若者の初陣などいたしにぐる敵といへ共、切あふて辛労仕り取子にたる頸は、追付頸とは申せ共、少しふりよくして是を利口者と申ものなり、
書き下し
馬塲美濃守又おのこどの利口者とさたするは、はなしうちの成敗者一二度、或は少の足軽、又はせりあひにかたき弓·鉄炮なとにて、人なみに少しすぐれて味方の鑓あはする剛の者の一二間後につどきて罷有が、殊更大合戦にもすぐれたる武士の鑓を始むる二三人の手抦にて、敵·味方五百·六百のうちに也、追くつす時其かちたる方にて、若者の初陣などいたしにぐる敵といへ共、切あふて辛労仕り取子にたる頸は、追付頸とは申せ共、少しふりよくして是を利口者と申ものなり、
現代語訳
馬場美濃守がまた、男どもの利口者と沙汰するのは、話し討ちの成敗者を一、二度、あるいは少しの足軽、または競り合いに敵の弓・鉄砲などで、人並みより少しすぐれて味方の槍を合わせる剛の者の一、二間後についていた者が、ことさら大合戦にもすぐれた武士が槍を始める二、三人の手柄で、敵味方五百・六百のうちに、追い崩す時、その勝ったほうで、若者が初陣などをいたして、逃げる敵といっても斬り合って辛労して取った首は、追い付き首とは申しても、少し飾ってこれを利口者と申すものである。
解説
この章句が説くこと
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説苑・善說齊景公子貢に謂いて曰く、「子誰をか師とする。」曰く、「臣仲尼を師とす。」公曰く、「仲尼賢なるか。」對えて曰く、「賢なり。」公曰く、「其の賢たること何如。」對えて曰く、「知らざるなり。」公曰く、「子其の賢を知りて其の奚若たるを知らざるは、可ならんか。」對えて曰く、「今天高しと謂うに、少長愚智と無く皆高きを知る。高きこと幾何ぞや。皆知らずと曰う。是を以て仲尼の賢を知りて其の奚若たるを知らざるなり。」
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史記 管晏列伝鮑叔既に管仲を進め、身を以て之に下る。子孫世々斉に禄せられ、封邑を有つこと十余世、常に名大夫為り。天下、管仲の賢を多とせずして、鮑叔の能く人を知るを多とす。
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