甲陽軍鑑 / 品第四十
大將には能々出頭人なり共、傍輩に物云ふやうにならねば殊に一ツ二ツにて、はやえつうあそばす事は國持の專ら也、一入信玄公十八歳よりそれがし廿五歲の時より奉公申奉るに、御わかき時分せんさくなされ、此儀をよそのやうに語給ひて定めらるゝ、今、曾根內匠·眞田喜兵衞·三枝勘解由左衞門三人にケ樣の定めを仰せきかされてこそ牢人衆の參るに右三人、先其侍を見とどけ、それ〳〵に披露いたすと大方みへまいらせ候と穴山殿に馬塲美濃守をしへまいらするなり、
新字:大将には能々出頭人なり共、傍輩に物云ふやうにならねば殊に一ツ二ツにて、はやえつうあそばす事は国持の専ら也、一入信玄公十八歳よりそれがし廿五歳の時より奉公申奉るに、御わかき時分せんさくなされ、此儀をよそのやうに語給ひて定めらるゝ、今、曽根内匠·真田喜兵衛·三枝勘解由左衛門三人にケ様の定めを仰せきかされてこそ牢人衆の参るに右三人、先其侍を見とどけ、それ〳〵に披露いたすと大方みへまいらせ候と穴山殿に馬塲美濃守をしへまいらするなり、
書き下し
大将には能々出頭人なり共、傍輩に物云ふやうにならねば殊に一ツ二ツにて、はやえつうあそばす事は国持の専ら也、一入信玄公十八歳よりそれがし廿五歳の時より奉公申奉るに、御わかき時分せんさくなされ、此儀をよそのやうに語給ひて定めらるゝ、今、曽根内匠·真田喜兵衛·三枝勘解由左衛門三人にケ様の定めを仰せきかされてこそ牢人衆の参るに右三人、先其侍を見とどけ、それ〳〵に披露いたすと大方みへまいらせ候と穴山殿に馬塲美濃守をしへまいらするなり、
現代語訳
大将には、いかによい出頭人であっても、傍輩に物を言うようにならなければ、ことに一つ二つで早くも通じられる事は国持ちの専らである。ひとしお信玄公は十八歳から、それがしが二十五歳の時から奉公申し奉るのに、お若い時分から詮索なされ、この儀を他所のことのように語られて定められる。今、曾根内匠・真田喜兵衛・三枝勘解由左衛門の三人に、このような定めを仰せ聞かされていればこそ、牢人衆が参るのに右の三人がまずその侍を見届け、それぞれに披露いたすと、おおかた見え参らせ候と、穴山殿に馬場美濃守が教え参らせるのである。
解説
この章句が説くこと
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