甲陽軍鑑 / 品第四十
第二に座配よく大身小身にうらあひ取成少もあぐまず、輕薄にもなく、じゆつにもなく、いかにも見事にしあはするを利發人·公界者と申、第三に藝つきも無器用に座配もし得ずして武邊の方にかしこきは利口者と申、此人を心懸者·すね者·仕さう成者と名付てよび候、大身·小身共に如此なり、かやうに分て、それ〳〵になつけていはねは國持大將の合點ましまさず候、
新字:第二に座配よく大身小身にうらあひ取成少もあぐまず、軽薄にもなく、じゆつにもなく、いかにも見事にしあはするを利発人·公界者と申、第三に芸つきも無器用に座配もし得ずして武辺の方にかしこきは利口者と申、此人を心懸者·すね者·仕さう成者と名付てよび候、大身·小身共に如此なり、かやうに分て、それ〳〵になつけていはねは国持大将の合点ましまさず候、
書き下し
第二に座配よく大身小身にうらあひ取成少もあぐまず、軽薄にもなく、じゆつにもなく、いかにも見事にしあはするを利発人·公界者と申、第三に芸つきも無器用に座配もし得ずして武辺の方にかしこきは利口者と申、此人を心懸者·すね者·仕さう成者と名付てよび候、大身·小身共に如此なり、かやうに分て、それ〳〵になつけていはねは国持大将の合点ましまさず候、
現代語訳
第二に、座配がよく、大身小身に裏合いを取りなして少しも倦まず、軽薄でもなく、じゅつにもなく、いかにも見事にし合わせるのを利発人・公界者と申す。第三に、芸つきも不器用で座配もし得ずして武辺の方に賢いのは利口者と申す。この人を心懸者・すね者・仕さうなる者と名付けて呼ぶのである。大身・小身ともにこのとおりである。このように分けて、それぞれに名付けて言わなければ、国持ちの大将の合点がおありでない。
解説
褒め言葉の三段が出そろう。利根は飲み込みの早さ、利発は場をさばく力、利口は武辺の賢さ。同じように賢いと見える人を三つに分け、それぞれ別の名で呼ぶ。名付けなければ大将は判断できない、という前提が繰り返し置かれている。名付けなければ大将は判断できない、という前提が繰り返し置かれている。利根と利発と利口は、どれも賢いが指している場所が違う。
この章句が説くこと
利発公界者利口座配名付け評価
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