甲陽軍鑑 / 品第四十
然れば三河の家康は人にすぐれて利根なる仁かとあれば、馬塲美濃守·穴山殿は信玄公御從弟しかも惣領むこにてましますが、憚りながらさやうの御詞を他國の家中にきこてわらひ候はんずるなり、抑も武士が武士をほむるに作法定まりたり、第一に謠·舞、或は物をよむにうけとりのはやき人を利根なると云ふ、其所作がら又は品のよき人を器用なると申、扨性發とも才智とも名づくなり、
新字:然れば三河の家康は人にすぐれて利根なる仁かとあれば、馬塲美濃守·穴山殿は信玄公御従弟しかも惣領むこにてましますが、憚りながらさやうの御詞を他国の家中にきこてわらひ候はんずるなり、抑も武士が武士をほむるに作法定まりたり、第一に謡·舞、或は物をよむにうけとりのはやき人を利根なると云ふ、其所作がら又は品のよき人を器用なると申、扨性発とも才智とも名づくなり、
書き下し
然れば三河の家康は人にすぐれて利根なる仁かとあれば、馬塲美濃守·穴山殿は信玄公御従弟しかも惣領むこにてましますが、憚りながらさやうの御詞を他国の家中にきこてわらひ候はんずるなり、抑も武士が武士をほむるに作法定まりたり、第一に謡·舞、或は物をよむにうけとりのはやき人を利根なると云ふ、其所作がら又は品のよき人を器用なると申、扨性発とも才智とも名づくなり、
現代語訳
しからば三河の家康は人にすぐれて利根な仁かとあれば、馬場美濃守が、穴山殿は信玄公の御従弟で、しかも惣領の聟でおられるが、憚りながらそのような御言葉を他国の家中に聞かれては笑われましょう。そもそも武士が武士を褒めるには作法が決まっている。第一に謡や舞、あるいは物を読むのに受け取りの早い人を利根なると言う。その所作柄、または品のよい人を器用なると申す。さては性発とも才智とも名付けるのである。
解説

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『春秋左氏伝』昭公元年 言を以て物を知る三月、甲辰、盟ふ。楚の公子圍服を設け衛を離ぬ。叔孫穆子曰く、「楚の公子美なり、君なるかな」と。鄭の子皮曰く、「二執戈の者前めり」と。蔡の子家曰く、「蒲宮に前有り、亦た可ならずや」と。楚の伯州犁曰く、「此の行や、辭して之を寡君に假れり」と。鄭の行人揮曰く、「假りて反さざらん」と。伯州犁曰く、「子姑く子皙の背誕せんと欲するを憂へよ」と。子羽曰く、「當璧猶ほ在り。假りて反さずとも、子其れ憂ひ無からんや」と。齊の國子曰く、「吾二子に代りて愍ふ」と。陳の公子招曰く、「憂へずんば何ぞ成らん。二子樂しめり」と。衛の齊子曰く、「苟くも或いは之を知らば、憂ふと雖も何ぞ害あらん」と。宋の合左師曰く、「大國令し、小國共す。吾共するを知るのみ」と。晉の樂王鮒曰く、「小旻の卒章善し。吾之に從はん」と。會より退く。子羽子皮に謂ひて曰く、「叔孫は絞にして婉、宋の左師は簡にして禮、樂王鮒は字しみて敬す。子と子家とは之を持す。皆保世の主なり。齊・衛・陳の大夫は、其れ免れざらんか。國子は人に代りて憂ひ、子招は憂ひを樂しみ、齊子は憂ふと雖も害せずとす。夫れ及ばずして憂ふると、憂ふべくして樂しむと、憂へて害せずとするとは、皆憂ひを取るの道なり。憂ひ必ず之に及ばん。大誓に曰く、『民の欲する所は、天必ず之に從ふ』と。三大夫憂ひを兆す、能く至ること無からんや。言以て物を知るとは、其れ是の謂なり」と。
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