甲陽軍鑑 / 品第四十
訴人岩間大藏左衞門と別して入魂有て人の取やりなされ、彼大藏左衞門に年々合力なとしたまふに付て目付衆やがて申上る、信玄公聞召訴人とさだむる者にちかづき、殊にしたしき儀不審のたつ樣子なりとて御せんさく候へば、案のごとく五郎殿關東武藏の大石一黨と內通にて逆心の企顯はれて、其年中に勝沼五郞殿を信玄公御成敗被成候也、
新字:訴人岩間大蔵左衛門と別して入魂有て人の取やりなされ、彼大蔵左衛門に年々合力なとしたまふに付て目付衆やがて申上る、信玄公聞召訴人とさだむる者にちかづき、殊にしたしき儀不審のたつ様子なりとて御せんさく候へば、案のごとく五郎殿関東武蔵の大石一党と内通にて逆心の企顕はれて、其年中に勝沼五郎殿を信玄公御成敗被成候也、
書き下し
訴人岩間大蔵左衛門と別して入魂有て人の取やりなされ、彼大蔵左衛門に年々合力なとしたまふに付て目付衆やがて申上る、信玄公聞召訴人とさだむる者にちかづき、殊にしたしき儀不審のたつ様子なりとて御せんさく候へば、案のごとく五郎殿関東武蔵の大石一党と内通にて逆心の企顕はれて、其年中に勝沼五郎殿を信玄公御成敗被成候也、
現代語訳
ある年、武田の一家である勝沼五郎殿が、訴人の岩間大蔵左衛門と格別に懇意にされて人の取り遣りをなされ、かの大蔵左衛門に年々合力などをされたことについて、目付衆がすぐに申し上げた。信玄公は聞し召し、訴人と定めた者に近づき、ことに親しい儀は不審の立つ様子であるといって御詮索されたところ、案のごとく五郎殿は関東武蔵の大石一党と内通していて、逆心の企てが顕れて、その年のうちに勝沼五郎殿を信玄公が御成敗されたのである。
解説
密告者に近づいて援助していたという一点から、一族の謀反が露見する。付き合っている相手そのものが不審の材料になるという見方で、しかも相手は訴人、つまり情報を扱う立場の人間である。誰と親しいかは行動より先に現れる、ということになる。誰と親しいかは、行動より先に現れるということになる。しかも相手は訴人、つまり情報を扱う立場の人間で、そこに近づいたことが決め手になった。
この章句が説くこと
訴人目付内通勝沼兆交際
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『甲陽軍鑑』品第四十七右の源五郎侫人の事、其右には中々誰も不存候へ共、信玄公は推量なされてあればこそ、さま〳〵彼源五郎が心をひき見給ふ、又其比かつ沼入道のむすめに御手をかけられ、古籠屋小路と申所に屋敷をかまへ置まいらせらるゝ是へ源五郎を御使につかはされ、跡より二十人衆かしらを一人目付にこし給ふ、是をばゆめにもしらずかつのま殿のはした衆と源五郎みだりなるふりをいたすに付、御みかぎりをかうふり、次第に出頭とをく罷成、其身の科をさしをき信玄公へうらみに存奉り、後には太郎義信公と組み逆心の事御耳にたち、其證拠顕はれて金丸平三郎がきられたる六年目に、終に長坂源五郎を誅罰なされ候、日本あるじ天照皇太神宮の御詫に、謀計は眼前の利潤たりといへども、かならず神明の罰をあたるとなり、
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