甲陽軍鑑 / 品第四十
物をしらぬ申されやうにてあり、唐國周の文王崇敬の太公望儀大身にては有まじき事一兵法つかひの手を負たると申は一入武士道無案內なり、兵法の儀手をおはぬと云ふ事にてはあるまじ、手をおふて相手を仕ほすが本の兵法也、殊更其方被官の石井藤三郞しらはの所へ棒にてむかひ、くみたをしたらんには、勘介死ても、かばねのうへまでほまれあるを、そねむはぶせんさくなる事一其方南部手抦は內の者笠井と春日と兩人して仕るを我手抦のやうに申さること聞及びたる事是三ケ條をもつて成敗仕るべく候へ共、
新字:物をしらぬ申されやうにてあり、唐国周の文王崇敬の太公望儀大身にては有まじき事一兵法つかひの手を負たると申は一入武士道無案内なり、兵法の儀手をおはぬと云ふ事にてはあるまじ、手をおふて相手を仕ほすが本の兵法也、殊更其方被官の石井藤三郎しらはの所へ棒にてむかひ、くみたをしたらんには、勘介死ても、かばねのうへまでほまれあるを、そねむはぶせんさくなる事一其方南部手抦は内の者笠井と春日と両人して仕るを我手抦のやうに申さること聞及びたる事是三ケ条をもつて成敗仕るべく候へ共、
書き下し
物をしらぬ申されやうにてあり、唐国周の文王崇敬の太公望儀大身にては有まじき事一兵法つかひの手を負たると申は一入武士道無案内なり、兵法の儀手をおはぬと云ふ事にてはあるまじ、手をおふて相手を仕ほすが本の兵法也、殊更其方被官の石井藤三郎しらはの所へ棒にてむかひ、くみたをしたらんには、勘介死ても、かばねのうへまでほまれあるを、そねむはぶせんさくなる事一其方南部手抦は内の者笠井と春日と両人して仕るを我手抦のやうに申さること聞及びたる事是三ケ条をもつて成敗仕るべく候へ共、
現代語訳
物を知らない申されようである。唐国の周の文王が崇敬した太公望の儀は、大身であったはずがない事。一、兵法使いが手を負ったと申すのは、ひとしお武士道に不案内である。兵法の儀は、手を負わないという事ではあるまい。手を負って相手を仕留めるのが本当の兵法である。ことさら、その方の被官である石井藤三郎の白刃の所へ棒で向かい、組み倒したのであれば、勘介は死んでも屍の上まで誉れがあるのを、嫉むのは詮索のない事。一、その方の南部の手柄は、内の者の笠井と春日の両人がしたのを、我が手柄のように申されることを聞き及んでいる事。この三か条をもって成敗いたすべきであるけれども。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第四十惣別勘介は武篇の時も、はなしうちの時も数度少づゝ手負、八十六ヶ所の疵数なり、それを右の南部殿あしうさたなさるゝもいわれず候、此南部下野殿も甘利備前·板垣駿河·小山田備中·飯富兵部少輔四人の衆につゞき、少は武篇の覚もありといへ共、うわきにて常に無穿鑿なる事ばかりいひ、遠慮もなく明暮過言を申され、うそをつき給ふ、無分別人にて山本勘介をにくみ、国郡をもたぬ者の城取·陣取、又外科医者もふかき事あるましきと思ふに、まして兵法つかひにて手を負たるなどゝいふて、山本勘介をこと〳〵く悪口せらるゝ、
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『甲陽軍鑑』品第四十山本勘介入道道鬼の雑談にて如此馬塲美濃守物語なり一南部下野殿改易、信玄公廿八歳の時、山本助介と申大剛の、兵武道の手抦ばかりにあらず兵法上手にて、或る時信州諏訪において南部殿内の者石井藤三郎と云ふ男を南部殿成敗し、はづし切てまはるに、折節勘介其近所に居あたり候座数へ、右の藤三郎きつておしこむ、勘介刀をとりあわせず、そこにしんざつほうのあるを取て向ひうけて組ころばし、縄をかけて南部殿へわたす、少つゝ手三ケ所おい候、手と申程の儀にてもなし、子細は三十日の内に平愈候、
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『甲陽軍鑑』品第四十一第三に兵共手抦の儀に付て、贔負々々のさたを大将のせんさくなしに聞入、上の手抦を下にし、下を上にし、或は中を上にしてみだりに所領を下され、同し言葉の情も右の如く漫りなれば、よき者曲なく存知、忠功もうすくなる、此作法のうへは未練の人々は迯ても苦しからずとて、ぶせんさくなるを悅ぶ侍仕合よき故、万事ぶあんないにて適々人をほむれ共、辻切·辻相撲にて血もつかざる喧嘩したる者共を、むだとほめて覚の者の様に申たて、馳走してほむる事、武士のはたらき善悪無案内故也、左様の者は本の事にてなき故、
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『甲陽軍鑑』品第四十七其上、石田·矢崎·飯室三人の者共申す口も、如形手抦の様子なり、数年心懸け大勢の敵をうちすましたる儀は、千英万雄も尤是なり、さて又敵を我手にかけてきりふせぬと申す事、それは武道をしらずして弓矢無鍛錬なる人の申す、となり、
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『甲陽軍鑑』品第四十左有ては山本勘介も定めてめいわくに思はん、爰を勘介に免じて命をたすくる間、遠き国へまいれとありて改易いたされ、奥州会津へ行き南部下野死をれ候なり、七十騎足軽·旗本·其外方々へわかち、春日左衛門·笠井備後は右南部両おとなの子なり、已上一或る年武田の一家勝沼五郎殿、
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『甲陽軍鑑』品第四十目付衆·横目衆頓而御耳に立る、信玄公きこしめし、長坂長閑·石黒豊前·ごみ新右衛門を御使になされ、則ち書立をもつて仰下さるゝ、其御書の趣き南部下野·山本勘介と云ふ大剛の兵を悪口の事ぶせんさくなる儀なり一山本勘介小身成者の城取·陣取まことしからぬとある儀、