甲陽軍鑑 / 品第四十
惣別勘介は武篇の時も、はなしうちの時も數度少づゝ手負、八十六ヶ所の疵數なり、それを右の南部殿あしうさたなさるゝもいわれず候、此南部下野殿も甘利備前·板垣駿河·小山田備中·飯富兵部少輔四人の衆につゞき、少は武篇の覺もありといへ共、うわきにて常に無穿鑿なる事ばかりいひ、遠慮もなく明暮過言を申され、うそをつき給ふ、無分別人にて山本勘介をにくみ、國郡をもたぬ者の城取·陣取、又外科醫者もふかき事あるましきと思ふに、まして兵法つかひにて手を負たるなどゝいふて、山本勘介をこと〳〵く惡口せらるゝ、
新字:惣別勘介は武篇の時も、はなしうちの時も数度少づゝ手負、八十六ヶ所の疵数なり、それを右の南部殿あしうさたなさるゝもいわれず候、此南部下野殿も甘利備前·板垣駿河·小山田備中·飯富兵部少輔四人の衆につゞき、少は武篇の覚もありといへ共、うわきにて常に無穿鑿なる事ばかりいひ、遠慮もなく明暮過言を申され、うそをつき給ふ、無分別人にて山本勘介をにくみ、国郡をもたぬ者の城取·陣取、又外科医者もふかき事あるましきと思ふに、まして兵法つかひにて手を負たるなどゝいふて、山本勘介をこと〳〵く悪口せらるゝ、
書き下し
惣別勘介は武篇の時も、はなしうちの時も数度少づゝ手負、八十六ヶ所の疵数なり、それを右の南部殿あしうさたなさるゝもいわれず候、此南部下野殿も甘利備前·板垣駿河·小山田備中·飯富兵部少輔四人の衆につゞき、少は武篇の覚もありといへ共、うわきにて常に無穿鑿なる事ばかりいひ、遠慮もなく明暮過言を申され、うそをつき給ふ、無分別人にて山本勘介をにくみ、国郡をもたぬ者の城取·陣取、又外科医者もふかき事あるましきと思ふに、まして兵法つかひにて手を負たるなどゝいふて、山本勘介をこと〳〵く悪口せらるゝ、
現代語訳
総じて勘介は武辺の時も、話し討ちの時も数度少しずつ手を負い、八十六か所の疵の数である。それを右の南部殿が悪く沙汰されるのも筋が通らない。この南部下野殿も、甘利備前・板垣駿河・小山田備中・飯富兵部少輔の四人の衆に次いで、少しは武辺の覚えもあるとはいえ、浮ついていて常に詮索のない事ばかりを言い、遠慮もなく明け暮れ過言を申され、嘘をつかれる。無分別な人で山本勘介を憎み、国郡を持たない者の城取り・陣取り、また外科の医者も深い事はあるまいと思うのに、まして兵法使いでいて手を負ったなどと言って、山本勘介をことごとく悪口されるのである。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第四十目付衆·横目衆頓而御耳に立る、信玄公きこしめし、長坂長閑·石黒豊前·ごみ新右衛門を御使になされ、則ち書立をもつて仰下さるゝ、其御書の趣き南部下野·山本勘介と云ふ大剛の兵を悪口の事ぶせんさくなる儀なり一山本勘介小身成者の城取·陣取まことしからぬとある儀、
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『甲陽軍鑑』品第四十左有ては山本勘介も定めてめいわくに思はん、爰を勘介に免じて命をたすくる間、遠き国へまいれとありて改易いたされ、奥州会津へ行き南部下野死をれ候なり、七十騎足軽·旗本·其外方々へわかち、春日左衛門·笠井備後は右南部両おとなの子なり、已上一或る年武田の一家勝沼五郎殿、
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『甲陽軍鑑』品第四十物をしらぬ申されやうにてあり、唐国周の文王崇敬の太公望儀大身にては有まじき事一兵法つかひの手を負たると申は一入武士道無案内なり、兵法の儀手をおはぬと云ふ事にてはあるまじ、手をおふて相手を仕ほすが本の兵法也、殊更其方被官の石井藤三郎しらはの所へ棒にてむかひ、くみたをしたらんには、勘介死ても、かばねのうへまでほまれあるを、そねむはぶせんさくなる事一其方南部手抦は内の者笠井と春日と両人して仕るを我手抦のやうに申さること聞及びたる事是三ケ条をもつて成敗仕るべく候へ共、
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『甲陽軍鑑』品第四十山本勘介入道道鬼の雑談にて如此馬塲美濃守物語なり一南部下野殿改易、信玄公廿八歳の時、山本助介と申大剛の、兵武道の手抦ばかりにあらず兵法上手にて、或る時信州諏訪において南部殿内の者石井藤三郎と云ふ男を南部殿成敗し、はづし切てまはるに、折節勘介其近所に居あたり候座数へ、右の藤三郎きつておしこむ、勘介刀をとりあわせず、そこにしんざつほうのあるを取て向ひうけて組ころばし、縄をかけて南部殿へわたす、少つゝ手三ケ所おい候、手と申程の儀にてもなし、子細は三十日の内に平愈候、
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『甲陽軍鑑』品第四十七さて翌年未の正月、增城源八·長助·長八が御前のよきをそねみて、柳ノ介をば我等討てとらせたり、手負事も兄には四ケ所、弟は六ケ所、我等はわき人なれど八ケ所手負ひて、柳ノ介を某がしの殺したる故おぼへとらするとて增城源八郎申す口にて、源八が親類共ひろき者なれば、各々方々ありき、長沼長介·長八が手抦、我等親類の增城源八を頼たる故なりと申しひろむる、
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『甲陽軍鑑』品第四十七さて其後武かさ与一郎方々へありき、志村金ノ介が中間大剛者にて金ノ介しあましたるを、我等が仕出してくれ候故、如此手おふたるとて、島の湯なとにて股の疵少しのあとを諸人に見する故、志村金ノ助是をきゝ、大なるいひ事になる、されども志村金ノ介おぼへの者のすぢなれば、