甲陽軍鑑 / 品第四十
一或る時馬塲美濃守申す、信玄公の人召つかひ給ふ事何共分別に及申さず、子細は職をもち公事さたの、さばきは物をよみ物をしりて、いかにも慈悲やはらかなる人のわざかと思へば、一年原美濃守と云ふ大剛强のあら人に職を仰付らるこ、是は不思儀と申事我等ばかりにかぎらず、各取沙汰なるに、結句この原美濃殿、何共ならぬよき仕置也、然といへ共、此人公事にかこりては、もろ〳〵の境目、武士道の御用かくるとて奉行を上らるこに、其後暫く二三ケ月も職定まり候はぬ事、
書き下し
一或る時馬塲美濃守申す、信玄公の人召つかひ給ふ事何共分別に及申さず、子細は職をもち公事さたの、さばきは物をよみ物をしりて、いかにも慈悲やはらかなる人のわざかと思へば、一年原美濃守と云ふ大剛强のあら人に職を仰付らるこ、是は不思儀と申事我等ばかりにかぎらず、各取沙汰なるに、結句この原美濃殿、何共ならぬよき仕置也、然といへ共、此人公事にかこりては、もろ〳〵の境目、武士道の御用かくるとて奉行を上らるこに、其後暫く二三ケ月も職定まり候はぬ事、
現代語訳
ある時、馬場美濃守が申す。信玄公が人を召し使われる事は、何とも分別に及び申さない。子細は、職を持って公事の沙汰の裁きは、物を読み物を知って、いかにも慈悲があって柔らかな人の業かと思えば、ある年、原美濃守という大剛強の荒人に職を仰せ付けられた。これは不思議だと申す事は、我らばかりに限らずそれぞれの取り沙汰であるのに、結局はこの原美濃殿、何とも言いようのないよい仕置きである。とはいえ、この人は公事にかかりきりでは、もろもろの境目や武士道の御用が欠けるといって奉行を上げられたところ、その後しばらく二、三か月も職が定まらなかった事。
解説
裁判の奉行に、およそ似合わないと思われた荒武者を据えた話。周りが不思議がったが実際にはよく治まり、しかも今度は本業の武辺に差し支えるといって外すと、二、三か月も後任が決まらなかった。人選の常識が二度ひっくり返されている。人選の常識が二度ひっくり返されている。似合わないと思われた者がよく治め、外した後は二、三か月も後任が決まらなかったという顛末である。
この章句が説くこと
人事奉行公事原美濃意外適材
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