甲陽軍鑑 / 品第四十
人は遠慮の二字肝要なり、遠慮さへあれば分別にも成る子細は、遠慮して我分別に及ばざる所をば、大身は能き家老に尋、少身は親類か扨は友·傍輩のよき近付に談合して理をすますなれば越度すくなし、去る程に分別のもとは遠慮なりと、いやしくも信玄は存ずるに、惣別は存ずるぞ、惣別人間は遠慮深ふして、才覺ありて分別あるならば、何にても仕り出し、後の世までもとゞめおかん、
新字:人は遠慮の二字肝要なり、遠慮さへあれば分別にも成る子細は、遠慮して我分別に及ばざる所をば、大身は能き家老に尋、少身は親類か扨は友·傍輩のよき近付に談合して理をすますなれば越度すくなし、去る程に分別のもとは遠慮なりと、いやしくも信玄は存ずるに、惣別は存ずるぞ、惣別人間は遠慮深ふして、才覚ありて分別あるならば、何にても仕り出し、後の世までもとゞめおかん、
書き下し
人は遠慮の二字肝要なり、遠慮さへあれば分別にも成る子細は、遠慮して我分別に及ばざる所をば、大身は能き家老に尋、少身は親類か扨は友·傍輩のよき近付に談合して理をすますなれば越度すくなし、去る程に分別のもとは遠慮なりと、いやしくも信玄は存ずるに、惣別は存ずるぞ、惣別人間は遠慮深ふして、才覚ありて分別あるならば、何にても仕り出し、後の世までもとゞめおかん、
現代語訳
ある時、信玄公が仰せられる。人は遠慮の二字が肝要である。遠慮さえあれば分別にもなる。その子細は、遠慮して自分の分別に及ばない所は、大身はよい家老に尋ね、小身は親類か、あるいは友や傍輩のよい近づきに談合して理を済ませるので、落ち度が少ない。さるほどに、分別のもとは遠慮であると、いやしくも信玄は存ずるのだ。総じては存ずるぞ。総じて人間は遠慮が深くて、才覚があって分別があるならば、何であってもやり出して、後の世までもとどめ置くであろう。
解説
遠慮を三つの中で最も根に置く。遠慮があれば、自分の手に余ると気づいて人に尋ねられるからで、そこから分別が生まれるという順序になっている。大身は家老に、小身は親類や傍輩に、と身の丈に応じた相談先まで指定されている。大身は家老に、小身は親類や傍輩に、と身の丈に応じた相談先まで指定されている。手に余ると気づけることが、すべての出発点になる。
この章句が説くこと
遠慮分別才覚談合家老相談
関連する章句
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『甲陽軍鑑』品第四十ゆふべに思ふても分別をよくせよと信玄公のたまふなり一内藤修理正いはく信玄公御諚に人は分別肝要と仰らるゝ、是尤に候、然れば分別の儀ならひにて智恵つかんと内藤申に、小山田弥三郎ねがはくはこれをきかんと、しきりにとふ、そこにて内藤修理いはく、気遣といふことあれば分別にもちかよらん、右の気遣から万へ心つき候て、我いたらぬ事を分別ある人にならひ、事をすますに付て如此の様子度々かさなりて後、自分の心得も出来り、猶以工夫·分別·広才の智ある人に近づき候へば、扨気遣は分別のいろはにてはなきかと、内藤小山田にをしへ候なり一小山田弥三郎内藤修理に問、
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『甲陽軍鑑』品第四十如件一或る時信玄公宣ふ、世中の人は色々あり、旣に分別ありて才覚なき人もあり、才覚ありて慈悲のなき人もあり慈悲ありて人をみしらぬも有、人をみしらぬ者は大身は崇敬する者共十人の内八人役にたゝぬ者多し、小身は其熟根する傍輩のあしきつれに近付なり、如此色々様々かわりてみゆれども、それはたと分別のいたらぬ心なり、分別さへ能々すぐれてある人は、才覚にも遠慮にも、人をしるにも功をなすにも、何事に付てもよからん、さる程に、人間は分別の二字諸色のもとゝ存知、朝に心ざし、
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『甲陽軍鑑』品第四十一又或る夜信玄公仰せらるゝは工夫と思案のかはるごとく、分別と才覚とは別ならん子細は、世間にありて才覚のなき人もあり、才覚ありて又分別なき者もあり、されば手を付ていはねば、若き者知恵つかざる間、かれが為になづけて申さば、分別は心にてする、才覚は気のきいたる者のわざなり、分別者には越度まれなり、才覚ばかりで分別なきはあやまりおほし物しりたる人の上には批判いかほども有べし、それは無学の若者合点まれなり一或る時信玄公仰らるゝ、
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『甲陽軍鑑』品第四十奉公人の上に大身·小身の侍は申に及ばず、下々の者迄相手におそろしき人有、是は何人ぞ、見いだし候へと御諚なり、各不叶、そこにて信玄公仰らるゝ、無分別の人の事也、子細は彼無分別人、跡先をふまず、口にまかせ、手に任せ法外の仕形あり、左様の人はかならずつばぎはにてをくることいへども、よき分別有人は、かね〳〵せんさくをよくいたすにより、無分別者のがれたがる共、申いだしてからはのがさず、勝負を付るよき分別者が、あしき無分別の者と相手になり、いたづらに身を果すなれば、是を思案してみられよ、
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『甲陽軍鑑』品第四十或夜又信玄公各御咄し衆へ仰下さるゝ、人間は大小によらず身をもつ事一ツあり、各是にあたりてみよとの御諚候、各暫く有て申上る、何と思案いたしても更に分別に及ばずと申せば、信玄公そこにて仰出さるゝ、人は只我したき事せずして、いやと思ふことを仕るならば、分々体々全身をもつべしとのたもふなり一或夜信玄公宣ふは、
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『甲陽軍鑑』品第四十世間に侍の事は申に及ばず、奉公人·下々迄も、其生付たる形義有べし、右の人をみそこなひのあらん、一ツには分別有者を侫人と見る、二には遠慮の深き者を臆病とみん、三にはがさつ成人を兵とみん、是大成るあやまり成べし、分別の有人は十を七分残して三分申す、遠慮深き者は跡先をふみ、常に万事を大事にする、それはいひ出る程にて勝負をつくるにより妻子の思案前に仕る故、物云ふ程なれば実否をつくる、是を遠慮と云ふ、此遠慮をしらずして臆病と見ん、左様に見る人は皆未練ならん、