甲陽軍鑑 / 品第四十
縱ば一文不通の者なりとも、此理に徹したる人は、信玄は智者といひて馳走に存ずる也、但しよそにて物識人の上には何程も能せんさく有共、其所へは信玄及ばずして少智·短才の法性院如此と宣ふ也一或る時信玄公御はなし衆に尋給ふ、
新字:縦ば一文不通の者なりとも、此理に徹したる人は、信玄は智者といひて馳走に存ずる也、但しよそにて物識人の上には何程も能せんさく有共、其所へは信玄及ばずして少智·短才の法性院如此と宣ふ也一或る時信玄公御はなし衆に尋給ふ、
書き下し
縦ば一文不通の者なりとも、此理に徹したる人は、信玄は智者といひて馳走に存ずる也、但しよそにて物識人の上には何程も能せんさく有共、其所へは信玄及ばずして少智·短才の法性院如此と宣ふ也一或る時信玄公御はなし衆に尋給ふ、
現代語訳
たとえ一文不通の者であっても、この理に徹した人は、信玄は智者と言って大事に存ずるのである。ただし他所で物を知る人の上には、いくらでもよい詮索があろうけれども、その所へは信玄は及ばず、少智・短才の法性院はこのとおりであると宣われたのである。ある時、信玄公が御咄衆に尋ねられた。
解説
字が読めなくても道理に徹していれば智者だ、と言い切る。そのうえで、学問の世界にはもっと深い詮索があるだろうがそこには自分は及ばない、少智短才の法性院である、と自ら名乗る。前段の学の定義と対にして、自分の限界も同じ言葉で示している。前段の学の定義と対にして、自分の限界も同じ言葉で示している。道理に徹していれば智者だと言い切った当人が、自分は少智短才だと名乗る。
この章句が説くこと
智者一文不通理学謙信玄
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