師導古典を学びたいすべての人に

甲陽軍鑑 / 品第四十

或時信玄公仰らるゝ、人の學ある木の枝葉あるが如し、只人はもつて學なくんば有べからずといひつべし、學と云ふは物をよむ斗りにあらず、おのれ〳〵が道々に付てまなぶを學とは申也、先弓矢の家にうまるゝ人は、大小·上下共に、武功·忠功の人に近付、一日に一樣聞共一月には三十ヶ條の事あり、いはんや年中を申さば三百六十ヶ條のすへをしらば、去年の我等に今年は又はる〳〵增ならん、去程に人は我心を三ツにわけて、あしき思案のいづるをばすて、若もよき工夫あらば、そこを取てをのれが分別の友に仕てあらば恥有事すくなかるべし、

新字:或時信玄公仰らるゝ、人の学ある木の枝葉あるが如し、只人はもつて学なくんば有べからずといひつべし、学と云ふは物をよむ斗りにあらず、おのれ〳〵が道々に付てまなぶを学とは申也、先弓矢の家にうまるゝ人は、大小·上下共に、武功·忠功の人に近付、一日に一様聞共一月には三十ヶ条の事あり、いはんや年中を申さば三百六十ヶ条のすへをしらば、去年の我等に今年は又はる〳〵增ならん、去程に人は我心を三ツにわけて、あしき思案のいづるをばすて、若もよき工夫あらば、そこを取てをのれが分別の友に仕てあらば恥有事すくなかるべし、

書き下し

或時信玄公仰らるゝ、人の学ある木の枝葉あるが如し、只人はもつて学なくんば有べからずといひつべし、学と云ふは物をよむ斗りにあらず、おのれ〳〵が道々に付てまなぶを学とは申也、先弓矢の家にうまるゝ人は、大小·上下共に、武功·忠功の人に近付、一日に一様聞共一月には三十ヶ条の事あり、いはんや年中を申さば三百六十ヶ条のすへをしらば、去年の我等に今年は又はる〳〵增ならん、去程に人は我心を三ツにわけて、あしき思案のいづるをばすて、若もよき工夫あらば、そこを取てをのれが分別の友に仕てあらば恥有事すくなかるべし、

現代語訳

ある時、信玄公が仰せられる。人に学があるのは、木に枝葉があるようなものである。ただ人は学がなくてはならないと言うべきである。学というのは物を読むばかりではない。それぞれ自分の道々について学ぶのを学と申すのである。まず弓矢の家に生まれる人は、大小・上下ともに武功・忠功の人に近づいて、一日に一様聞いても一月には三十か条の事がある。まして年中を申せば三百六十か条の末を知れば、去年の我らに今年はまた遥かに増しているであろう。さるほどに、人は自分の心を三つに分けて、悪い思案の出るのは捨て、もしよい工夫があればそこを取って自分の分別の友としていれば、恥のあることが少ないであろう。

解説

学の定義を読書から引き離す。自分の道について学ぶのが学であり、その方法は、功のある人に近づいて一日に一つ聞くこと。一日一つが年に三百六十になるという勘定が示され、去年の自分より遥かに増すという結果まで書かれている。地道な足し算の話である。一日一つが年に三百六十になるという勘定が示されている。読む量ではなく、功のある人にどれだけ近づいたかで学びを測っているということである。

この章句が説くこと

積上近付分別工夫

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる