甲陽軍鑑 / 品第四十
これをいふ子細は、信玄は若き時、鷹野へ出て在々の家を見つるに、石臼と云ふ物は種々の用にたて共、百姓さへ座敷へはあげぬなり、扨又茶臼と云ふ物は、茶を引一種なれ共、是は又侍の所にて一入馳走いたす、信玄が見立は家康が無能は茶臼、氏政·氏眞手跡の能と、歌の作は只石臼のごとしと信玄公の御批判なり、
新字:これをいふ子細は、信玄は若き時、鷹野へ出て在々の家を見つるに、石臼と云ふ物は種々の用にたて共、百姓さへ座敷へはあげぬなり、扨又茶臼と云ふ物は、茶を引一種なれ共、是は又侍の所にて一入馳走いたす、信玄が見立は家康が無能は茶臼、氏政·氏真手跡の能と、歌の作は只石臼のごとしと信玄公の御批判なり、
書き下し
これをいふ子細は、信玄は若き時、鷹野へ出て在々の家を見つるに、石臼と云ふ物は種々の用にたて共、百姓さへ座敷へはあげぬなり、扨又茶臼と云ふ物は、茶を引一種なれ共、是は又侍の所にて一入馳走いたす、信玄が見立は家康が無能は茶臼、氏政·氏真手跡の能と、歌の作は只石臼のごとしと信玄公の御批判なり、
現代語訳
これを言う子細は、信玄は若い時、鷹野へ出て在々の家を見たところ、石臼というものは種々の用に立つけれども、百姓さえ座敷へは上げない。さてまた茶臼というものは、茶を挽く一種であるけれども、これはまた侍の所で、ひとしお大事にいたす。信玄の見立ては、家康の無能は茶臼、氏政と氏真の手跡のよさと歌の作は、ただ石臼のようなものであると、信玄公のご批判である。
解説
石臼はいろいろに使えるのに座敷には上げず、茶臼は茶を挽くだけなのに座敷で大事にされる。用途の広さと値打ちは別だという見立てで、家康の無骨を茶臼に、氏政と氏真の教養を石臼にたとえる。役に立つことと座敷に置かれることを分けて考えている。役に立つことと、座敷に置かれることを分けて考えている。用途の広さで測るか、その場での格で測るかによって、同じ物の値打ちが逆になる。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
石臼茶臼見立価値家康教養
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