管子 / 國蓄
玉起於禺氏,金起於汝漢,珠起於赤野,東西南壮距周七千八百里,水絶壤斷,舟車不能通。先王為其途之逺,其至之難,故託用於其重,以珠玉為上幣,以黄金為中幣,以刀布為下幣。三幣握之則非有補於煖也,食之則非有補於飽也,先王以守財物,以御民事,而平天下也。今人君籍求於民,令曰十日而具,則財物之賈什去一;令曰八日而具,則財物之賈什去二;令曰五日而具,則財物之賈什去半;朝令而夕具,則財物之賈什去九。先王知其然,故不求於萬民,而籍於號令也。
新字:玉起於禺氏,金起於汝漢,珠起於赤野,東西南壮距周七千八百里,水絶壤断,舟車不能通。先王為其途之遠,其至之難,故託用於其重,以珠玉為上幣,以黄金為中幣,以刀布為下幣。三幣握之則非有補於煖也,食之則非有補於飽也,先王以守財物,以御民事,而平天下也。今人君籍求於民,令曰十日而具,則財物之賈什去一;令曰八日而具,則財物之賈什去二;令曰五日而具,則財物之賈什去半;朝令而夕具,則財物之賈什去九。先王知其然,故不求於万民,而籍於号令也。
書き下し
玉は禺氏に起こり、金は汝漢に起こり、珠は赤野に起こる。東西南壮、周を距つること七千八百里、水絶え壤斷え、舟車通ずる能わず。先王は其の途の逺く、其の至るの難きが為に、故に用を其の重に託し、珠玉を以て上幣と為し、黄金を以て中幣と為し、刀布を以て下幣と為す。三幣は之を握れば則ち煖かきに補い有るに非ざるなり、之を食らえば則ち飽くに補い有るに非ざるなり、先王は以て財物を守り、以て民事を御して、天下を平らげしなり。今人君籍りて民に求め、令して曰く十日にして具えよとすれば、則ち財物の賈は什に一を去る。令して曰く八日にして具えよとすれば、則ち財物の賈は什に二を去る。令して曰く五日にして具えよとすれば、則ち財物の賈は什に半を去る。朝に令して夕べに具えよとすれば、則ち財物の賈は什に九を去る。先王は其の然るを知る、故に萬民に求めずして、號令に籍りしなり。
現代語訳
玉は禺氏に生まれ、金は汝水と漢水に生まれ、珠は赤野に生まれる。東西南北、周から七千八百里も離れ、水は途切れ土地は断たれ、舟も車も通えない。先王はその道の遠さ、手に入れる難しさゆえに、用いようをその重さに託し、珠玉を上の貨幣、黄金を中の貨幣、刀銭と布銭を下の貨幣とした。この三つの貨幣は、握っても暖かくならず、食べても腹は満ちない。それでも先王はこれによって財と物を守り、民の仕事を操って、天下を平らげたのである。いま主が取り立てて民に求め、十日で揃えよと令すれば、財と物の値は十のうち一が落ちる。八日で揃えよと令すれば、十のうち二が落ちる。五日で揃えよと令すれば、十のうち半分が落ちる。朝に令して夕方までに揃えよとすれば、十のうち九が落ちる。先王はそうと知っていたから、民に求めずに、令のほうにかけたのである。
解説
この章句が説くこと
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