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甲陽軍鑑 / 品第四十

已上一或る年一·二月の間打續き雨降て、一日の內も空晴れつ曇りつ有つる日に、信玄公へ駿河今川殿より送り參らせらるゝ定家の伊勢物語りを取出させ給ひ、御看經所の次の座にて是をよみ給ふ時、長坂長閑短冊を二枚持て參り一ツは駿河氏眞公の御作にて、しかも御自筆なり、一ツは關東氏政公のよみて書給ふなれば、長坂長閑存ずる、北條氏政公は、むこにて御座ます、此自作·自筆を信玄公御覽なさるゝに付ては、定て御機嫌一入よくましますべしと思案仕り、右短冊を取出し信玄公へ御目に懸候へば、則よみて御覽あり、是は兩人ながら自作·自筆かと有時長坂長閑其通にて候と申せば、信玄公とかくの御諚もなく、

新字:已上一或る年一·二月の間打続き雨降て、一日の内も空晴れつ曇りつ有つる日に、信玄公へ駿河今川殿より送り参らせらるゝ定家の伊勢物語りを取出させ給ひ、御看経所の次の座にて是をよみ給ふ時、長坂長閑短冊を二枚持て参り一ツは駿河氏真公の御作にて、しかも御自筆なり、一ツは関東氏政公のよみて書給ふなれば、長坂長閑存ずる、北条氏政公は、むこにて御座ます、此自作·自筆を信玄公御覧なさるゝに付ては、定て御機嫌一入よくましますべしと思案仕り、右短冊を取出し信玄公へ御目に懸候へば、則よみて御覧あり、是は両人ながら自作·自筆かと有時長坂長閑其通にて候と申せば、信玄公とかくの御諚もなく、

書き下し

已上一或る年一·二月の間打続き雨降て、一日の内も空晴れつ曇りつ有つる日に、信玄公へ駿河今川殿より送り参らせらるゝ定家の伊勢物語りを取出させ給ひ、御看経所の次の座にて是をよみ給ふ時、長坂長閑短冊を二枚持て参り一ツは駿河氏真公の御作にて、しかも御自筆なり、一ツは関東氏政公のよみて書給ふなれば、長坂長閑存ずる、北条氏政公は、むこにて御座ます、此自作·自筆を信玄公御覧なさるゝに付ては、定て御機嫌一入よくましますべしと思案仕り、右短冊を取出し信玄公へ御目に懸候へば、則よみて御覧あり、是は両人ながら自作·自筆かと有時長坂長閑其通にて候と申せば、信玄公とかくの御諚もなく、

現代語訳

ある年、一月・二月のあいだ降り続いて雨が降り、一日のうちも空が晴れたり曇ったりしていた日に、信玄公へ駿河の今川殿から送り参らせられた定家の伊勢物語を取り出させられ、御看経所の次の座でこれを読まれる時、長坂長閑が短冊を二枚持って参った。一つは駿河の氏真公の御作で、しかも御自筆である。一つは関東の氏政公が詠んで書かれたものであるので、長坂長閑が存ずるには、北条氏政公は聟でおられる、この自作・自筆を信玄公がご覧になるについては、きっとご機嫌がひとしおよくおありだろうと思案して、右の短冊を取り出し信玄公へお目にかけたところ、すぐに読んでご覧になり、これは両人ながら自作・自筆かとある時、長坂長閑がそのとおりでございますと申すと、信玄公はとやかくの御諚もなく。

解説

気を利かせた家老が、婿の自筆の歌を見せて機嫌を取ろうとする場面。雨の続く日に伊勢物語を読んでいるという設えまで丁寧に書かれている。ところが信玄は読んで、両方とも本人の作か本人の字かと確かめただけで、何も言わない。この沈黙が次の段で説明される。雨の続く日に伊勢物語を読んでいるという設えまで丁寧に書かれている。それでも信玄は確かめただけで何も言わず、その沈黙が次の段で説明される。

この章句が説くこと

短冊氏政長坂機嫌沈黙自筆

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