甲陽軍鑑 / 品第四十
一或る夜信玄公古語をひきて仰らるゝ、陣孔障謂魏文帝曰逢人只說三分話未可ミ抛一片心人鎭不與我相好花鎭無與春盛開·昨友今日寃讎、昨花今日塵埃と云ふて人の奥深く物いふ事七分殘して三分申も皆其身の恥に遠き儀成を、分別なき人は物を卒爾に申事惡しとて一圓物いはず、萬づ大事とばかりといたす人は、澁柿きりて木練につぐはあしき儀なりと人の云ふをきゝ、いたらぬ心より賢だてのことはざは、つぎてあるきざはしの、しかも能實のなるをきりて澁柿につぐごとし、是又よき事をせんとて、あしうしなす分別なき者の仕形かくのごとし、古語ニ曰、金屑雖貴落眼成翳とは右の樣子をいはんか、
新字:一或る夜信玄公古語をひきて仰らるゝ、陣孔障謂魏文帝曰逢人只説三分話未可ミ抛一片心人鎮不与我相好花鎮無与春盛開·昨友今日冤讎、昨花今日塵埃と云ふて人の奥深く物いふ事七分残して三分申も皆其身の恥に遠き儀成を、分別なき人は物を卒爾に申事悪しとて一円物いはず、万づ大事とばかりといたす人は、渋柿きりて木練につぐはあしき儀なりと人の云ふをきゝ、いたらぬ心より賢だてのことはざは、つぎてあるきざはしの、しかも能実のなるをきりて渋柿につぐごとし、是又よき事をせんとて、あしうしなす分別なき者の仕形かくのごとし、古語ニ曰、金屑雖貴落眼成翳とは右の様子をいはんか、
書き下し
一或る夜信玄公古語をひきて仰らるゝ、陣孔障謂魏文帝曰逢人只説三分話未可ミ抛一片心人鎮不与我相好花鎮無与春盛開·昨友今日冤讎、昨花今日塵埃と云ふて人の奥深く物いふ事七分残して三分申も皆其身の恥に遠き儀成を、分別なき人は物を卒爾に申事悪しとて一円物いはず、万づ大事とばかりといたす人は、渋柿きりて木練につぐはあしき儀なりと人の云ふをきゝ、いたらぬ心より賢だてのことはざは、つぎてあるきざはしの、しかも能実のなるをきりて渋柿につぐごとし、是又よき事をせんとて、あしうしなす分別なき者の仕形かくのごとし、古語ニ曰、金屑雖貴落眼成翳とは右の様子をいはんか、
現代語訳
ある夜、信玄公が古語を引いて仰せられる。陳孔璋が魏の文帝に言うには、人に逢うては只三分を説け、未だ一片の心をことごとく抛つべからず。人は鎮えに我と相好くとは限らず、花は鎮えに春とともに盛んに開くとは限らず。昨日の友は今日の怨讐、昨日の花は今日の塵埃、と。そう言って、人に奥深く物を言う事は、七分を残して三分を申すのも、みなその身の恥から遠い儀であるのに、分別のない人は、物を軽々しく申すのが悪いといって、まったく物を言わず、万事を大事にとばかりする人は、渋柿を切って木練に接ぐのは悪い儀であると人の言うのを聞き、至らない心から賢ぶった仕業として、接いである木の階段の、しかもよく実のなるのを切って渋柿に接ぐようなものである。これもまた、よい事をしようとして悪くしてしまう、分別のない者のやり方はこのとおりである。古語に曰く、金屑は貴しといえども眼に落ちれば翳となる、とは右の様子を言うのであろうか。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第四十一或時信玄公宣ふ、人が人にしてみせ、或はいふつ、しつ有りてきかする事も有る、一切のことわざ上中下共に一人につき三ツあるぞ、第一に其位より出来る事一ツあり、第二に不出来なる事一ツあり、第三に出来も不出来もなく其身位ほど仕る事あり、扨又其みる人仕手聞く人は、まづ無分別なる者の批判に出来たるをみては上手とほめ、同してが不出来なるを見聞ては下手といふてそしる、三度三様の取りさたにて、それは口計り利根にて心の至らぬ者共の昨日が今日にかはる人にはほめられて曲なし、たゞそしりてくれよかし、是れは見聞が人の事、
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『甲陽軍鑑』品第四十人は遠慮の二字肝要なり、遠慮さへあれば分別にも成る子細は、遠慮して我分別に及ばざる所をば、大身は能き家老に尋、少身は親類か扨は友·傍輩のよき近付に談合して理をすますなれば越度すくなし、去る程に分別のもとは遠慮なりと、いやしくも信玄は存ずるに、惣別は存ずるぞ、惣別人間は遠慮深ふして、才覚ありて分別あるならば、何にても仕り出し、後の世までもとゞめおかん、
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『甲陽軍鑑』品第四十一せりあひ·合戦二ツの戦に勝やうの色三ツあり、十の物六分·七分の勝一ツ、十の物八分·九分の勝一ツ、十の物十ながらの勝一ツ、第一に十を六分·七分の勝はこれ十分の勝なり、第二に十を八分·九分の勝はこれあやうし、第三に十を十分の勝はかならずけが有て、跡のほまれを無にすべきとの御諚なり一信玄公宣ふは、
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『甲陽軍鑑』品第四十渋神をきりて木練をつぐは小身成者のことわざなり、中身よりうへの侍、殊に国持人は猶以て渋柿にて其用所達すること多し、但し徳多しと申て、つぎてある木練をきるにはあらず、一切の仕置かくの分なるべきかとのたまふなり、
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『甲陽軍鑑』品第四十如件一或る時信玄公宣ふ、世中の人は色々あり、旣に分別ありて才覚なき人もあり、才覚ありて慈悲のなき人もあり慈悲ありて人をみしらぬも有、人をみしらぬ者は大身は崇敬する者共十人の内八人役にたゝぬ者多し、小身は其熟根する傍輩のあしきつれに近付なり、如此色々様々かわりてみゆれども、それはたと分別のいたらぬ心なり、分別さへ能々すぐれてある人は、才覚にも遠慮にも、人をしるにも功をなすにも、何事に付てもよからん、さる程に、人間は分別の二字諸色のもとゝ存知、朝に心ざし、
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『甲陽軍鑑』品第四十ゆふべに思ふても分別をよくせよと信玄公のたまふなり一内藤修理正いはく信玄公御諚に人は分別肝要と仰らるゝ、是尤に候、然れば分別の儀ならひにて智恵つかんと内藤申に、小山田弥三郎ねがはくはこれをきかんと、しきりにとふ、そこにて内藤修理いはく、気遣といふことあれば分別にもちかよらん、右の気遣から万へ心つき候て、我いたらぬ事を分別ある人にならひ、事をすますに付て如此の様子度々かさなりて後、自分の心得も出来り、猶以工夫·分別·広才の智ある人に近づき候へば、扨気遣は分別のいろはにてはなきかと、内藤小山田にをしへ候なり一小山田弥三郎内藤修理に問、