甲陽軍鑑 / 品第四十
右三色ながら分別と申さんも、遠慮·才覺と申さんも尤にて有べし、但しそれにては文盲成る高坂がつれの合點おそし縱へば輝宗の亂師達は一則つミにて悟り給へ末世の衆生愚痴にて悟りおそければ、各祖師の大悟のきをあつめて千七百則とありて、此頃人々修行させ給ふも元は愚痴の人間よりおこりたる事なりと推量申て候、
新字:右三色ながら分別と申さんも、遠慮·才覚と申さんも尤にて有べし、但しそれにては文盲成る高坂がつれの合点おそし縦へば輝宗の乱師達は一則つミにて悟り給へ末世の衆生愚痴にて悟りおそければ、各祖師の大悟のきをあつめて千七百則とありて、此頃人々修行させ給ふも元は愚痴の人間よりおこりたる事なりと推量申て候、
書き下し
右三色ながら分別と申さんも、遠慮·才覚と申さんも尤にて有べし、但しそれにては文盲成る高坂がつれの合点おそし縦へば輝宗の乱師達は一則つミにて悟り給へ末世の衆生愚痴にて悟りおそければ、各祖師の大悟のきをあつめて千七百則とありて、此頃人々修行させ給ふも元は愚痴の人間よりおこりたる事なりと推量申て候、
現代語訳
右の三色をどれも分別と申しても、遠慮・才覚と申しても、もっともではあろう。ただしそれでは、文盲である高坂の連れの合点が遅い。たとえば禅の祖師たちは一則で悟られたが、末世の衆生は愚痴で悟りが遅いので、それぞれ祖師の大悟の機を集めて千七百則とあって、この頃の人々が修行されるのも、もとは愚痴の人間から起こったことであると推量申すのである。
解説
なぜ一つの言葉を三つに割るのかを、禅の公案で説明する。祖師なら一則で足りたが、悟りの遅い者のために千七百則が要ったのと同じで、分からない者のために言葉を増やすのだという。愚かさが道具を生む、という考え方である。愚かさが道具を生む、という考え方である。分からない者のために言葉を増やすのは、公案が千七百則に増えたのと同じ理屈だとされる。
この章句が説くこと
公案千七百則愚痴分別言葉方便
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