甲陽軍鑑 / 品第四十
又た心しんを三ツにわけて申候聞給へ、長坂長閑·跡部大炊介殿、先一ツに遠慮は志、二ツ工夫は分別、三ツに才覺は氣なり、扨いかに志しても分別にて工夫して其躰を見付ねば志しの詮なし、いかに見付ても氣をきひても才覺をもつてことをすまさずんば其かひなし、たとへば道を行時、大河のはた迄參り、水のましたるに瀨をしらずしてわたらば、もしながれやせんと遠慮する、是志し也、さやうに心ざしても、渡るべき手だてなければ是又詮なし、
新字:又た心しんを三ツにわけて申候聞給へ、長坂長閑·跡部大炊介殿、先一ツに遠慮は志、二ツ工夫は分別、三ツに才覚は気なり、扨いかに志しても分別にて工夫して其体を見付ねば志しの詮なし、いかに見付ても気をきひても才覚をもつてことをすまさずんば其かひなし、たとへば道を行時、大河のはた迄参り、水のましたるに瀨をしらずしてわたらば、もしながれやせんと遠慮する、是志し也、さやうに心ざしても、渡るべき手だてなければ是又詮なし、
書き下し
又た心しんを三ツにわけて申候聞給へ、長坂長閑·跡部大炊介殿、先一ツに遠慮は志、二ツ工夫は分別、三ツに才覚は気なり、扨いかに志しても分別にて工夫して其体を見付ねば志しの詮なし、いかに見付ても気をきひても才覚をもつてことをすまさずんば其かひなし、たとへば道を行時、大河のはた迄参り、水のましたるに瀨をしらずしてわたらば、もしながれやせんと遠慮する、是志し也、さやうに心ざしても、渡るべき手だてなければ是又詮なし、
現代語訳
また心の芯を三つに分けて申すので聞かれよ。長坂長閑・跡部大炊介殿。まず一つに遠慮は志、二つに工夫は分別、三つに才覚は気である。さていかに志しても、分別によって工夫してその体を見つけなければ、志の甲斐がない。いかに見つけても、気を利かせても、才覚をもって事を済まさなければその甲斐がない。たとえば道を行く時、大河のほとりまで参り、水が増しているのに瀬を知らずに渡れば、もし流されはしないかと遠慮する。これが志である。そのように心ざしても、渡るべき手立てがなければ、これもまた甲斐がない。
解説

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啓発録・跋嗚呼如何せん、吾身刀圭の家に生れ、賤技に局々として、吾初年の志を遂る事を不得を。然れども所業は此に在りても、所志は彼に在り候へは、後世吾心を知り吾志を憐み吾道を信ずる者あらん歟。嘉永戊申季夏橋本左内誌。
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