甲陽軍鑑 / 品第十六
就中侍大將も武道きつかけの意旨をはづしなば、武士の道すたり、上の御ためあしう候其いわれは當屋形信玄公廿歲の御時、信州海尻の城にて是にまします四人の御撿使の內、長坂長閑は座敷などにては尤能き人なれ共、右海尻の城にて男道のきつかけをちがへ、城をあけて甲州へ歸らるゝに、小山田備中が男道を專らまもる故、城をもち詰め候てこそ、後つめありて信玄公勝利を得給ふ事、偏に備中が武道の嗜み勝れたる故なり、
新字:就中侍大将も武道きつかけの意旨をはづしなば、武士の道すたり、上の御ためあしう候其いわれは当屋形信玄公廿歳の御時、信州海尻の城にて是にまします四人の御撿使の内、長坂長閑は座敷などにては尤能き人なれ共、右海尻の城にて男道のきつかけをちがへ、城をあけて甲州へ帰らるゝに、小山田備中が男道を専らまもる故、城をもち詰め候てこそ、後つめありて信玄公勝利を得給ふ事、偏に備中が武道の嗜み勝れたる故なり、
書き下し
就中侍大将も武道きつかけの意旨をはづしなば、武士の道すたり、上の御ためあしう候其いわれは当屋形信玄公廿歳の御時、信州海尻の城にて是にまします四人の御撿使の内、長坂長閑は座敷などにては尤能き人なれ共、右海尻の城にて男道のきつかけをちがへ、城をあけて甲州へ帰らるゝに、小山田備中が男道を専らまもる故、城をもち詰め候てこそ、後つめありて信玄公勝利を得給ふ事、偏に備中が武道の嗜み勝れたる故なり、
現代語訳
そのいわれは、当屋形信玄公が二十歳の御時、信州海尻の城で、ここにおられる四人の御検使のうち、長坂長閑は座敷などではもっともよい人であるけれども、右の海尻の城で男道のきっかけを違え、城を明けて甲州へ帰られたのに、小山田備中が男道を専らに守るゆえに、城を持ち詰めたからこそ、後詰めがあって信玄公が勝利を得られたことは、ひとえに備中の武道の嗜みがすぐれていたゆえである。
解説
同じ場に居合わせた二人が対に置かれる。座敷ではもっともよい人が城を明けて帰り、武道を守る者が持ち詰めたから勝てた。しかも長坂長閑はいまこの場で命令を伝えに来た当人であり、面と向かって名指しされている。命令を伝えに来た当人が、面と向かって名指しされている。座敷でよい人と、持ち詰められる人が別だという例が、その場の二人で示されている。
この章句が説くこと
男道海尻持詰長坂小山田勝
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『甲陽軍鑑』品第四十七信玄公二十の御歳信濃海尻の城にて本丸に小山田備中二の丸に日向大和·長坂長閑請取被居申候時分、長閑は左衛門尉と申、三人此城にさしおかる、地の侍衆こと〳〵く敵になりし時、長閑の分別にて、しきりに城をあくべきとの事なり、長閑出頭なる故、大和は長閑次第と申さるゝ、扨又小山田備中は本城におかせらるゝ過分に候へば、此城を枕にいたすべきと、かね〳〵存ずるとて立のかず、長閑と大和は城をあけてかへらるゝ、
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『甲陽軍鑑』品第四十七跡にて備中を地の侍に村上殿加勢、人数うちそふて二三日せめつれども、五十騎ばかりの人数にて城を終にもちかため、やがて御旗を出され城をまきたる人数を、雑兵ども九百十三人うちとり給ふ、海尻合戦と申は是なりときく、其時備中をなのめならず御褒美にて、武篇·分別共に達したるとて其後御手に入ほどの城々へ、先備中がうつらざるといふ事なし、
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『甲陽軍鑑』品第六其四年にあたつて、信玄公十六の御年信州海野口にて、父信虎公八千の人数をもつてせめ給へども、次第に城强して不落、然る所に信玄公はかりことのつもりをもつて、三百計の人数にて速にのりとり給ふ一長尾謙信輝虎公十三の御年仰らるゝは、
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『甲陽軍鑑』品第四十七惣別長閑も武篇には数度をしらたる人なれども、無分別故海尻の城を開て大きなる臆病者と被云給ふ、長閑の仕形は御為もいらぬ我気を取者をほめ候が御用に立者はあまり人の気をとらぬ者なり、我等死に候はど跡にて長閑の仕置なるべし、跡部大炊分別信玄公の御代にはあまり是ほどにはなき人なれども、勝頼公の御代になり三ケ年長閑の真似をして散々悪き分別なり、
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『甲陽軍鑑』起巻又武士が町人と、戦ちとてまを取て、勝時は勝ても町人をほむるは、元来よはからんと、思ひつるに、不思議に戦たりといふて、ほむる其ごとくに、大合戦などありて、敵の大将を口きたなふいふて、種々つくりごとを申て、そしるは、勝まじき敵に、不慮に勝たる儀と、相心得候へば、他国のかんがへにのることいかゝに候間、勝頼公御家にて、敵の事をあまり、方道に申べからず、信玄公の御代には、御法度なけれ共、諸侍をのづから、此理に徹して、敵方の儀、作事をいはず、