甲陽軍鑑 / 起巻
又武士が町人と、戰ちとてまを取て、勝時は勝ても町人をほむるは、元來よはからんと、思ひつるに、不思議に戰たりといふて、ほむる其ごとくに、大合戰などありて、敵の大將を口きたなふいふて、種々つくりごとを申て、そしるは、勝まじき敵に、不慮に勝たる儀と、相心得候へば、他國のかんがへにのることいかゝに候間、勝賴公御家にて、敵の事をあまり、方道に申べからず、信玄公の御代には、御法度なけれ共、諸侍をのづから、此理に徹して、敵方の儀、作事をいはず、
新字:又武士が町人と、戦ちとてまを取て、勝時は勝ても町人をほむるは、元来よはからんと、思ひつるに、不思議に戦たりといふて、ほむる其ごとくに、大合戦などありて、敵の大将を口きたなふいふて、種々つくりごとを申て、そしるは、勝まじき敵に、不慮に勝たる儀と、相心得候へば、他国のかんがへにのることいかゝに候間、勝頼公御家にて、敵の事をあまり、方道に申べからず、信玄公の御代には、御法度なけれ共、諸侍をのづから、此理に徹して、敵方の儀、作事をいはず、
書き下し
又武士が町人と、戦ちとてまを取て、勝時は勝ても町人をほむるは、元来よはからんと、思ひつるに、不思議に戦たりといふて、ほむる其ごとくに、大合戦などありて、敵の大将を口きたなふいふて、種々つくりごとを申て、そしるは、勝まじき敵に、不慮に勝たる儀と、相心得候へば、他国のかんがへにのることいかゝに候間、勝頼公御家にて、敵の事をあまり、方道に申べからず、信玄公の御代には、御法度なけれ共、諸侍をのづから、此理に徹して、敵方の儀、作事をいはず、
現代語訳
また武士が町人と戦って少し手間を取り、勝った時は、勝っても町人を褒めるのは、もともと弱かろうと思っていたのに不思議に戦ったといって褒めるのである。そのように大合戦などがあって、敵の大将を口汚く言い、種々の作り事を申して謗るのは、勝つはずのない敵に思いがけず勝った儀と心得られるので、他国の考えに乗ることはいかがであるから、勝頼公の御家では敵のことをあまり片手落ちに申すべきではない。信玄公の御代には御法度はなかったけれども、諸侍がおのずからこの理に徹して、敵方の儀を作り事に言わなかった。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』起巻弓矢の儀、勿論つよき方、勝事十が八ッなれ共、又弱きの勝事も、是あるは、運次第なるをもつて也、さる程に弱き侍がつよき武士に勝ば、必其强き敵の大将を、口きたなふ申そしるなり、縦ば町人が侍と伐あふて、勝ば、我手柄を申し敵をそしる子細は、常に町人武士には、戦てなるまじきと、存するに、不慮をもつて、勝つれば、武士もふかき事は、なきぞとそしる、
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『甲陽軍鑑』起巻ねてもさめても、或は食事の時も主へ忠節忠功を存すべき事一敵方にても、一国を持給ふ侍は、なに大将か大将と申さず、たゝ大将とばかり申物也、此大将をも、口きたなくいふ事、弱将の下にて、未練の人々の作法也、惣別一国の主をば、敵みかたともに、口にても、書付もうやまふて申事也、子細は日本国をあつめても、百人にたらず、六十六人の武士なり、さる程に、一国をもつ大将の中に、古来からの侍をば、家をたつとび、うやまふべし、しいでの国持侍をば、其人の智恵冥加を感じて思へば、是又口きたなふ申は非也、敵をそしるは、必弓矢ちとよはき家にての作法也、
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『甲陽軍鑑』品第四十就中よき武士他国より来る類親なき者、手がらの儀ひいき〳〵に申につき、信玄公度々御諚に、おのれがぬき出たる手がらをして、大略にいはるゝは、何程口惜からんと分別してみよ、そこの程をかんがうる者は、かならず中悪き人の事をも、ありように云ふを、其手抦をそしらぬ侍の我身にかけて大きなる武篇をいたす儀と、又よし贔負おほうして種々作ことをいひ、
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『甲陽軍鑑』品第四十七上下の批判に、曲淵をまねて手がらもなき者は中々いはんとも思ふまじ、又功もなくしていふならば、よその気まうもはづかしかるべし、心有るほどの人は手抦なくしてはいはんとも、おもはずいふてもおかしき事也と、諸人取りさたは信玄公御ことばに心の付らるゝ御意の故なり、
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『甲陽軍鑑』品第四十一或る時信玄公宣ふ、侍の中に小身にても天然と世間に人の存知、名高く兵とよぶ冥加の武士をば、名をいひながら又人々そねみて名ほど覚への場数是なしなどゝさたするもの也、さりながら爰は大将の分別する所にてあるぞ、名高き者に常の者は何としてもなき者也、子細は塲数在まじきといふても、すぐれたる儀すくなうして、二度·三度あるは名の高き者のわざなり、
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『甲陽軍鑑』品第四十美濃殿程公事の理篇·批判致す人なきとの儀は、信玄公御工夫あさからず候へばこそ如此、さる間何方へ御馬を向られ、然も敵国へふかく働き有時も諸々の武士大小共に侍衆の事は不及申候、誠に雑人迄定て是はかつ事にてこそ御座あらめと思ひ、少もまくべきと存ぜざるは信玄公の智略賢くまします故如此、