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甲陽軍鑑 / 品第十六

某彼傳右術門に常に懇もせず、駿河守が子供多ければ、末々心持ありて初鹿野に名字をなす傳右衛門、行義こそあらくともケ樣の義仕損ずる者にてはなしと宣まひ、內々此時代の男に初鹿野傳右衞門など旗本にては、三番とさがらぬわらんべなりとの御自慢なり、

新字:某彼伝右術門に常に懇もせず、駿河守が子供多ければ、末々心持ありて初鹿野に名字をなす伝右衛門、行義こそあらくともケ様の義仕損ずる者にてはなしと宣まひ、内々此時代の男に初鹿野伝右衛門など旗本にては、三番とさがらぬわらんべなりとの御自慢なり、

書き下し

某彼伝右術門に常に懇もせず、駿河守が子供多ければ、末々心持ありて初鹿野に名字をなす伝右衛門、行義こそあらくともケ様の義仕損ずる者にてはなしと宣まひ、内々此時代の男に初鹿野伝右衛門など旗本にては、三番とさがらぬわらんべなりとの御自慢なり、

現代語訳

それがしはあの伝右衛門と常に懇ろにもせず、駿河守は子どもが多いので、末々に心持ちがあって、初鹿野に名字をなした伝右衛門は、行儀こそ荒くても、このような義を仕損じる者ではないと宣われた。内々ではこの時代の男に、初鹿野伝右衛門などは旗本では三番と下がらぬ若者であるとの御自慢である。

解説

普段は親しくもしていない相手を、いざという時に仕損じない者だと見切っている。信玄の人の見方が、日ごろの付き合いや行儀のよさではなく、肝心な場面で崩れるかどうかに置かれている。内々では旗本で三番と下がらないと自慢していた、という落差も面白い。日ごろの付き合いや行儀のよさではなく、肝心な場面で崩れるかどうかで人を見ている。内々では三番と下がらないと自慢していた、という落差も面白い。

この章句が説くこと

人物眼行儀初鹿野自慢評価

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