甲陽軍鑑 / 起巻
信玄公、御代に、公事沙汰によらず、萬事穿鑿多候ひつれば、それをみな書しるし申事は、際限なければ、其品々に不審たちて、人の合點に及ばずして、取々の沙汰なるを、御屋形信玄公を、始奉り、其外家老衆、批判有て、大形理のすみたる事を、一色二色つゝ、かきしるし候事此本かなにて、いかゞなどゝ有て、字になをし給ふ事、必ず無用になさるべし、結句只今、字の所をも、かな候、但それも本ほんを、一册字に書ておき其外にかなの本を、一册書て、重て置給へ、其本ほんとは、信玄公五十七ケ條の、
新字:信玄公、御代に、公事沙汰によらず、万事穿鑿多候ひつれば、それをみな書しるし申事は、際限なければ、其品々に不審たちて、人の合点に及ばずして、取々の沙汰なるを、御屋形信玄公を、始奉り、其外家老衆、批判有て、大形理のすみたる事を、一色二色つゝ、かきしるし候事此本かなにて、いかゞなどゝ有て、字になをし給ふ事、必ず無用になさるべし、結句只今、字の所をも、かな候、但それも本ほんを、一册字に書ておき其外にかなの本を、一册書て、重て置給へ、其本ほんとは、信玄公五十七ケ条の、
書き下し
信玄公、御代に、公事沙汰によらず、万事穿鑿多候ひつれば、それをみな書しるし申事は、際限なければ、其品々に不審たちて、人の合点に及ばずして、取々の沙汰なるを、御屋形信玄公を、始奉り、其外家老衆、批判有て、大形理のすみたる事を、一色二色つゝ、かきしるし候事此本かなにて、いかゞなどゝ有て、字になをし給ふ事、必ず無用になさるべし、結句只今、字の所をも、かな候、但それも本ほんを、一册字に書ておき其外にかなの本を、一册書て、重て置給へ、其本ほんとは、信玄公五十七ケ条の、
現代語訳
信玄公の御代には、公事の沙汰によらず万事に詮索が多かったので、それをみな書き記すことは際限がない。その品々に不審が立って、人の合点に及ばず、それぞれの沙汰であったものを、御屋形信玄公をはじめ奉り、そのほか家老衆が批判して、おおかた理の澄んだ事を一色二色ずつ書き記したのである。この本は仮名であって、いかがなものかなどとあって、字に直されることは必ず無用になさるべきである。結局は今も、字の所をも仮名にされよ。ただしそれも、本の本を一冊字で書いておき、そのほかに仮名の本を一冊書いて重ねて置かれよ。その本の本とは、信玄公五十七か条の御法度書のことである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『甲陽軍鑑』起巻御法度書之事也、さて又仮名の本を用る徳は、世間に学問よくして、物よむ人は、百人の内に、一二人ならてなし、さるに付、物しらぬ人も、仮名をばよむ物にて候間、雨中のつれ〳〵にも、無学の老若取て、よみ給ふ様にとの事也一侍衆大小共に、学問よくして、物しり給はん事、肝要なり、
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『甲陽軍鑑』品第四十上巻第十三信玄公を始奉り家老衆大身·小身善悪の儀分別の事付物の時宜作法手本に成事一偽のなき世なりせば世の間にたが誠をもうれしからまし、とある歌を人にならふて、高坂弾正が爰に記し申は此書置、若し落ちりて人々見給ふ共、盛なる家にて奉公衆の大小·上下共に心いたりたる武士の御覧候はゝ大にわらひ給はんずれ共、是は又左様の能き人へは深く、かくして衰る家の無穿鑿成る奉公衆に心を付参らせんが為にいかにもぐち成書物也、以上高坂弾正が申す誠に我等文盲第一にてすでに一文字を引事もならざれ共、傍輩の中にふかう分別達したる大剛の名人に、したしく雑談をつねに聞て、百に一ッばかり覚へ候て少心も付たる故か、
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『甲陽軍鑑』品第四十我もよりの大略のはたらきを一といひてよき手抦専らにする人をおとりに申者、おのれが身にかけてあしうしなす女侍をも両方善悪共に信玄が書付て置たりと仰られ候、定て其方土屋殿は見給はぬかと山県申さるれば、右衛門尉当年も両度見申候、御家中つよき事浅からず、廿ヶ年こなたへは左様の者一人もなし、信虎の御代に信玄公十六歳よりあそばし置る、卅の御歳迄十五年の間に九人左様のあしき人有て、各よの事によそへて改易なれば、其親類衆へのためにむさと申さず候、若き衆にかたり候はど、やがて彼一類をも女侍のよし贔負也といはど、
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『甲陽軍鑑』起巻起巻第一此書物仮名づかひ、万事無穿鑿にて、物知の御覧候ば、一ツとしてよき事なくて、わらひ草になり申へく候、子細は我等、元来百姓なれ共、不慮に十六歳の春、召出され、地下をいで春日源五郎になり、奉公申、しかも油断なく御前に相つめ、少も学問仕べき、隙なき故、文盲第一にて如件、さりながらあしき事をば、すて給ひ、此理窟を取て、当屋形勝頼公より、太郎信勝公御代迄、上下諸侍の作法になさるへき事長坂長閑老·跡部大炊介殿·失念有まじ、
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『甲陽軍鑑』品第六長坂長閑老跡部大炊の介殿、我等なき跡にて此書をひけんおはしませ、当時吾朝にて名大将幼少よりの行跡まで奉記之物ごと本をたゞし給へとのこと也、日月欲明浮雲掩之河水欲清砂石穢之人性欲乎暗欲害之、古語にもみへたり、信玄公連々仰られしことを某し聞き書いたし今紙面にあらはす者也、
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『甲陽軍鑑』品第四十二しる如件雑人のいふ、よき事を吉凶に任せつくる也、信玄公のあひこと、関東越後·美濃·三河もろ〳〵の敵地にて後は存したるにより御他界の一両年前よりは敵かふくべなどこ作りて申候は、能信玄公御ほこさきつよくして、