甲陽軍鑑 / 品第十三
殊更兩上杉根本兄弟の筋なれば中能く候て、山內をあしう仕る者は扇か谷をかね、扇谷に敵たはんと存する人も猶以て山內を怖ぢ、兩旗なれば右公方御代より一入物云もなく、各々平井へ出仕して圍繞渴仰する程に、其勢二十萬騎とは申せども國を持て積れば十六萬は是有べし、是程なる大身日本國中に三人と在さねば國の靜まることこそ尤にて候へ、
新字:殊更両上杉根本兄弟の筋なれば中能く候て、山内をあしう仕る者は扇か谷をかね、扇谷に敵たはんと存する人も猶以て山内を怖ぢ、両旗なれば右公方御代より一入物云もなく、各々平井へ出仕して囲繞渇仰する程に、其勢二十万騎とは申せども国を持て積れば十六万は是有べし、是程なる大身日本国中に三人と在さねば国の静まることこそ尤にて候へ、
書き下し
殊更両上杉根本兄弟の筋なれば中能く候て、山内をあしう仕る者は扇か谷をかね、扇谷に敵たはんと存する人も猶以て山内を怖ぢ、両旗なれば右公方御代より一入物云もなく、各々平井へ出仕して囲繞渴仰する程に、其勢二十万騎とは申せども国を持て積れば十六万は是有べし、是程なる大身日本国中に三人と在さねば国の静まることこそ尤にて候へ、
現代語訳
ことさら両上杉はもともと兄弟の筋であるから仲がよくて、山内を悪くする者は扇谷を兼ね、扇谷に敵対しようと思う人もなおもって山内を恐れ、二つの旗であるから、公方の御代からひとしお物を言う者もなく、それぞれが平井へ出仕して取り囲み渇仰するほどで、その勢は二十万騎とは申しても、国から積もれば十六万はあるだろう。これほどの大身は日本国中に三人といないのだから、国が静まるのはもっともなことである。
解説

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