甲陽軍鑑 / 品第十二
傳へ聞く都の三十三間堂を後白川の法皇建てさせ給ふに、諸細工人日用の者申す一倍宛に賃を出し、土をも十兩と申す土をば廿兩に買ひて地形をつきあげ建て給ふにより、法皇執し思召し候、七十ヶ年以前に伊豆の宗雲、三略をきかんとあり、物知りの僧をよび、夫主將、法務擇英雄之心と有る所迄きゝ、はや合點したるぞをけと有りしを、能きことゝ思召しなさるべし、それはあしき義也、
新字:伝へ聞く都の三十三間堂を後白川の法皇建てさせ給ふに、諸細工人日用の者申す一倍宛に賃を出し、土をも十両と申す土をば廿両に買ひて地形をつきあげ建て給ふにより、法皇執し思召し候、七十ヶ年以前に伊豆の宗雲、三略をきかんとあり、物知りの僧をよび、夫主将、法務択英雄之心と有る所迄きゝ、はや合点したるぞをけと有りしを、能きことゝ思召しなさるべし、それはあしき義也、
書き下し
伝へ聞く都の三十三間堂を後白川の法皇建てさせ給ふに、諸細工人日用の者申す一倍宛に賃を出し、土をも十両と申す土をば廿両に買ひて地形をつきあげ建て給ふにより、法皇執し思召し候、七十ヶ年以前に伊豆の宗雲、三略をきかんとあり、物知りの僧をよび、夫主将、法務択英雄之心と有る所迄きゝ、はや合点したるぞをけと有りしを、能きことゝ思召しなさるべし、それはあしき義也、
現代語訳
伝え聞くところでは、都の三十三間堂を後白河法皇が建てさせられた時、諸細工人や日用の者が申す一倍ずつの賃を出し、土をも十両という土を二十両で買って地形を突き上げて建てられたので、法皇は執心に思し召されたのである。七十年ほど前に伊豆の宗雲が三略を聞こうと言って物知りの僧を呼び、それ主将は法務にして英雄の心を択ぶ、とあるところまで聞いて、早くも合点した、置けと言われたのを、よいことだと思し召してはならない。それは悪いことである。
解説

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『甲陽軍鑑』品第十二此もとをたどすに偏に宗雲公に濫觴す、此宗雲のまねは中々思ひもよるまじ、惣別人間は大小によらずふの能き人のまねはせぬ者也、先仕合悪者の仕形を穿鑿ありそのうへ吉事の人のしわざを分別候て、其間よりいかにもあぶなげもなき働を専らにまもるべし、殊更一代にて仕出たる大身の真似を、二代·三代·五代·十代の大将衆十が九ツまねべからず、子細は我一代に仕出る大名は、天道の恵み深かるべし、其大将にはあやうき働き有物なれども、是は天道よければ、死するきは迄は大略理運になり、其弁へもなく代々ゆづられきたる大将あぶなき働きし給ひては、必しぞこなふなり、けが有こそ尤なれ、天道も代々恵はなき者にて候、
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『甲陽軍鑑』品第十二武具·馬具·弓·鎗·諸道具とも悉くきらびやかに拵へ給へども、皆町人百姓に借物の利鉄或は諸侍の過怠銭などにてし給ひ、もし又堂宮など建立あれどもぢひ結縁の心ざしましまさねば、人みせの善根成るにより、人民を悩ます温気、寒天風雨の嫌いもなく打擲してふしんを申し付くるにより、天道仏神は正直慈悲の頭にやどり給へば、左様の悪善根をにくみ給ひ、其堂宮成就せず、十に二ツ出来しても、地震·火事·大風·大水などにやがて損すべし、
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『甲陽軍鑑』品第十三又きくことあり北条家三代さき宗雲公兼々いひ置くに、金銀·米銭も我より三代目までのこと、三代目には上杉めつきやくして、必ず予が子孫関東仕置きうたがふべからず、さありて後四代目には国かずの余慶をもつて支配する者なれば、至りて金銀をさのみたくはゆるに及はず、然ば宗雲彼の地小チキ二代の間侍扶助のこと二十以前、七十以後は大小ともに我蓄へ置く金銀·米銭をもつて切符にあつべし、
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『甲陽軍鑑』品第十二宗雲公なとは定めて一仏一社の化身にて候へし、子細は伊勢より七人あらき·山中·ため·あら河·ありたけ·大道寺·宗雲·共に七人武者修行と談合あり、駿河の今川義元公祖父子の御代に牢人分にて、今川殿に堪忍有り才覚を以て駿河屋形の縁者に成り給ひ、則ら駿河の内かたのゝと云ふ所に、暫くまし〳〵義元公御親父の代に、今川殿の威勢をかりて、伊豆へ移り、
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『甲陽軍鑑』品第十三さてあひては何とぞ仕合能くして立のく事あれは、又跡にて弱者の親類近付より合候て、是非とも敵討んといへど口斗りにて皆偽なり、是偏へに臆病なる大将の下にて奉公人の行儀上をまねて如此、能き人も此大将の家中にて後には弱者程こそなくとも少しは悪しくなる、爰を以て三略に行も善悪同則功臣倦云云、然ば近代において右さたする大将に少しも違はずして、家中の大身小身ともに諸侍形義あしうなり終に其家滅却する、
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『甲陽軍鑑』品第四十八縦へば檜木にて木履を一足造りて人にやれば足にはきていかようなる所をもありくぞ、又其木のきれにて仏を作りて人にあたふれば押板の上へあげ香花をもりて拝するぞ、其ごとくにいかにして兄弟子成共無学の僧をば師匠が馬をひかせて、さて弟子弟なり共学問の有をば師匠も執する者なり、其方善万坊は四五ヶ年も此寺に住してはや六十に及に付ては、隠居して三十にならぬ琳切に跡をゆつり候へ琳切も弟子兄無智の儈なりとも、兄弟子の事なれば老たるをうやまひ、師匠の形見とも存せられ、寺中の家財を三ケ一分し善万坊へあたへ寺のはしに置て念比尤もなり、念比なくば学問のしるしは有まじ、扨又善万坊無学の意地にて弟子をとゝのへ琳切にまけたると口惜く我をたて、悪をはたらき必ず琳切に毒をかひなどあるにおいては勿体なき事ならんと定むると、今井伊勢守さばきにて、信玄公御耳によろしく思召なり、