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甲陽軍鑑 / 品第十一

我てまへの善惡をも辨へざるをさして智惠をぬすまること申す、又善惡を辨へたるといふて、我をはむる人を輕薄者とていかり給ふ大將も有るべし、それも惡しき分別なり、何たる大名とても異見申上る家老はおほうして五人、さては三人ならでなき者なり、其余は皆主君に輕薄申さずんば有るべからず、

新字:我てまへの善悪をも弁へざるをさして智恵をぬすまること申す、又善悪を弁へたるといふて、我をはむる人を軽薄者とていかり給ふ大将も有るべし、それも悪しき分別なり、何たる大名とても異見申上る家老はおほうして五人、さては三人ならでなき者なり、其余は皆主君に軽薄申さずんば有るべからず、

書き下し

我てまへの善悪をも弁へざるをさして智恵をぬすまること申す、又善悪を弁へたるといふて、我をはむる人を軽薄者とていかり給ふ大将も有るべし、それも悪しき分別なり、何たる大名とても異見申上る家老はおほうして五人、さては三人ならでなき者なり、其余は皆主君に軽薄申さずんば有るべからず、

現代語訳

また、善悪を弁えていると言って、自分を褒める人を軽薄者だといって怒られる大将もあるだろう。それも悪い分別である。どんな大名であっても、異見を申し上げる家老は多くて五人、あるいは三人よりほかにいないものである。その余はみな主君に軽薄を申さずにはいられない。それを怒るのもまた馬鹿大将である。

解説

追従を真に受けるなという前段を受けて、では追従する者を叱ればよいかというと、それも違うと言う。追従しない家老はどこの家でも三人か五人しかいないのが当たり前で、残りが軽薄なのは仕組みであって人柄ではない。怒っても数は増えない、という冷静な現実認識になっている。怒っても、諫める者の数は増えない。仕組みの問題を人柄の問題として扱うと、かえって残っていた三人五人まで黙ってしまうということである。

この章句が説くこと

諫言家老追従大将

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