甲陽軍鑑 / 品第十一
卷第三鈍過たる大將の事付駿州今川家〓山本勘介の事我國をほろぼし、我家をやぶる大將四人まします、第一番には馬鹿成る大將、第二番に利根過たる大將、第三番に臆病成る大將、第四番につよ過たる大將、是れをさたして二大將と成る、先つ第一に馬鹿なる大將、是れを所密、後分によりて虚共·戯共·耄者共申なり、
新字:巻第三鈍過たる大将の事付駿州今川家〓山本勘介の事我国をほろぼし、我家をやぶる大将四人まします、第一番には馬鹿成る大将、第二番に利根過たる大将、第三番に臆病成る大将、第四番につよ過たる大将、是れをさたして二大将と成る、先つ第一に馬鹿なる大将、是れを所密、後分によりて虚共·戯共·耄者共申なり、
書き下し
巻第三鈍過たる大将の事付駿州今川家〓山本勘介の事我国をほろぼし、我家をやぶる大将四人まします、第一番には馬鹿成る大将、第二番に利根過たる大将、第三番に臆病成る大将、第四番につよ過たる大将、是れをさたして二大将と成る、先つ第一に馬鹿なる大将、是れを所密、後分によりて虚共·戯共·耄者共申なり、
現代語訳
巻第三、鈍過ぎたる大将のこと。付けたり、駿州今川家ならびに山本勘介のこと。我が国を滅ぼし、我が家を破る大将は四人おられる。第一番には馬鹿なる大将。第二番に利根が過ぎたる大将。第三番に臆病なる大将。第四番に強過ぎたる大将。これを沙汰して二大将となる。まず第一に馬鹿なる大将、これを所密といい、後の分によって虚けとも、戯けとも、耄け者とも申すのである。
解説
甲陽軍鑑の芯になる分類がここで出る。国を滅ぼすのは敵ではなく、四種類の大将自身だという枠組みで、以下、品第十一から十四までこの四つが一つずつ論じられていく。愚か、賢すぎ、臆病、強すぎ。過不足の両側に危険を置く見立てで、賢さと強さが欠点の側に並んでいるところがこの書の特徴である。賢さと強さが欠点の側に並んでいるところが、この書の特徴である。足りない側だけでなく、過ぎる側にも同じ重さの危険が置かれている。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
大将四類愚分別自省家
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