甲陽軍鑑 / 品第四十二
右弓矢の御談合馬塲美濃·山縣三郞兵衛·高坂彈正·內藤修理·原隼人·土屋右衞門尉·小山田彌三郎七人なり一足輕大將のことわざは、自身のはたらきしてはけがなり、脫躰の勝負を分別して足輕をあつかひ、軍の先達をして味方の勝利を得るごとくに仕、後によき敵あらばうちても尤なり負一侍大將は我同心被官の貴つとむやうにして、御大將の被成まじきとある、合戰をも勝とみきはめて勝利をえて味方をいさめ、後軍を二重·三重に考へ、あぶなげもなき樣にする事肝要なり、五度あらば一二度は敵をくづしてヨ十後、敵に能武者あらば手にかけても可然、但し小身より度々おぼへある人大將になり候はば、自身の働き一切すべからず、
新字:右弓矢の御談合馬塲美濃·山県三郎兵衛·高坂弾正·内藤修理·原隼人·土屋右衛門尉·小山田弥三郎七人なり一足軽大将のことわざは、自身のはたらきしてはけがなり、脫体の勝負を分別して足軽をあつかひ、軍の先達をして味方の勝利を得るごとくに仕、後によき敵あらばうちても尤なり負一侍大将は我同心被官の貴つとむやうにして、御大将の被成まじきとある、合戦をも勝とみきはめて勝利をえて味方をいさめ、後軍を二重·三重に考へ、あぶなげもなき様にする事肝要なり、五度あらば一二度は敵をくづしてヨ十後、敵に能武者あらば手にかけても可然、但し小身より度々おぼへある人大将になり候はば、自身の働き一切すべからず、
書き下し
右弓矢の御談合馬塲美濃·山県三郎兵衛·高坂弾正·内藤修理·原隼人·土屋右衛門尉·小山田弥三郎七人なり一足軽大将のことわざは、自身のはたらきしてはけがなり、脫体の勝負を分別して足軽をあつかひ、軍の先達をして味方の勝利を得るごとくに仕、後によき敵あらばうちても尤なり負一侍大将は我同心被官の貴つとむやうにして、御大将の被成まじきとある、合戦をも勝とみきはめて勝利をえて味方をいさめ、後軍を二重·三重に考へ、あぶなげもなき様にする事肝要なり、五度あらば一二度は敵をくづしてヨ十後、敵に能武者あらば手にかけても可然、但し小身より度々おぼへある人大将になり候はば、自身の働き一切すべからず、
現代語訳
右の弓矢のご談合は、馬場美濃・山県三郎兵衛・高坂弾正・内藤修理・原隼人・土屋右衛門尉・小山田弥三郎の七人である。一、足軽大将の役目は、自分自身で働いてしまっては怪我である。全体の勝負を見分けて足軽を扱い、戦の先達をして味方が勝利を得るようにし、その後によい敵があれば討っても当然である。一、侍大将は、自分の同心や被官が尊んで勤めるようにして、大将のなさるべきでないことをせず、合戦も勝つと見きわめて勝利を得て味方を励まし、後詰めの軍を二重三重に考えて、危なげのないようにすることが肝要である。五度あれば一、二度は敵を崩したうえで、敵によい武者があれば手にかけてもよい。ただし小身から度々の覚えがあって大将になった人は、自身の働きを一切してはならない。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第四十二侍大将衆かりてのどうあり一先衆一二の先衆○戦塲にて備立同賦の事一御旗本一前備一小荷駄奉行備一脇備一後備○敵を引懸る合戦には一先衆の内よりあひしらひ.是非三手計一遊軍いかほども口伝あり一小荷駄奉行備へ本大将ほどの人に尤也、たどし味方地は先敵地にてはあと、のく時は又先へも合戦なきには大かたの奉行もくるしからず口伝有、
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『甲陽軍鑑』品第四十以上此折柄山県三郎兵衛土屋に語りて言く、侍が武士道のさたに大身·小身のうはさ申時、詞大方定まりたり、先第一に国持をば弓矢取と申、第二に一郡·一城斗りの侍大将をば武篇者と申、第三に小身なる人をば兵と申、さる程に国持度々合戦に勝、数ケ所城をせめとり、覇ありて文をたしなみ、能人をみしる大将を文·武二道の弓取とほめて名大将と申者也、
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『甲陽軍鑑』品第四十二若しわかき心出来候はば大きなるけがなり一若き衆は御大将の使ひに先へ参り、はれなる高名をもして度々をかさねて足軽大将になり、或は侍大将にもなるべきなり、信玄公の御家中如此候一武者奉行·旗奉行一切自身のはたらき大きなるけがなり、付たり、惣旗、馬じるしと分けて両奉行なり、鑓奉行もくづしてから後はたらくべき也、
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『甲陽軍鑑』品第四十一或る時小山田弥三郎所へ振舞として内藤修理·馬塲美濃·山県·小幡上総守·浅利·高坂弾正此衆参られ、雑談のうへ馬塲美濃守小幡上総に問ふ、上杉則政は誠やらん、弓をいる侍には武篇の覚なく共弓大将にせらる由聞及んて候と申さるれば、小幡上総こたへていはく、父管領の代にはさやうなけれ共、則政の代に其通りにて有つると語る、
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『甲陽軍鑑』起巻ねてもさめても、或は食事の時も主へ忠節忠功を存すべき事一敵方にても、一国を持給ふ侍は、なに大将か大将と申さず、たゝ大将とばかり申物也、此大将をも、口きたなくいふ事、弱将の下にて、未練の人々の作法也、惣別一国の主をば、敵みかたともに、口にても、書付もうやまふて申事也、子細は日本国をあつめても、百人にたらず、六十六人の武士なり、さる程に、一国をもつ大将の中に、古来からの侍をば、家をたつとび、うやまふべし、しいでの国持侍をば、其人の智恵冥加を感じて思へば、是又口きたなふ申は非也、敵をそしるは、必弓矢ちとよはき家にての作法也、
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『甲陽軍鑑』品第四十二口伝おほし○大将三ツのさいはいは、第一につね〳〵自国·他国共に武土の手がら忠節·忠功·上中下共によき批判の事、第二に人を能みしり、それ〳〵に役を申付る事、第三に忠節·忠功の武士に手抦の上中下をよくせんさくして、三段に恩をくるゝ事、是右ともに三のさいはいなり、かくの通りあしければ諸侍の行義むさぼりて、下の手抦も己己が仕様にて上になると心得、戦塲のはたらきをばひかへ、軽薄計りにかゝりて大将のほこさきよわし、さるに付此三ケ条は国持大将のさいはいならん、又手にてさいはいふるは其下の侍大将、或は足軽大将の仕所なり如件一御旗奉行には、