師導古典を学びたいすべての人に

孔子家語 / 曲禮子夏問

原思言於曾子曰:「夏後氏之送葬也,用盟器,示民無知也;殷人用祭器,示民有知也;周人兼而用之,示民疑也。」曾子曰:「其不然矣,夫以盟器,鬼器也,祭器,人器也,古之人胡為而死其親也。」子遊問於孔子曰:「之死而致死乎,不仁,不可為也;之死而致生乎,不智,不可為也。凡為盟器者,知喪道也。夫子始死則矣,羔裘玄冠者,易之而已,汝何疑焉。

新字:原思言於曽子曰:「夏後氏之送葬也,用盟器,示民無知也;殷人用祭器,示民有知也;周人兼而用之,示民疑也。」曽子曰:「其不然矣,夫以盟器,鬼器也,祭器,人器也,古之人胡為而死其親也。」子遊問於孔子曰:「之死而致死乎,不仁,不可為也;之死而致生乎,不智,不可為也。凡為盟器者,知喪道也。夫子始死則矣,羔裘玄冠者,易之而已,汝何疑焉。

書き下し

原思、曾子に言いて曰く、「夏后氏の送葬や、盟器を用うるは、民の知る無きを示すなり。殷人祭器を用うるは、民の知る有るを示すなり。周人兼ねて之を用うるは、民の疑うを示すなり」と。曾子曰く、「其れ然らず、夫れ盟器を以てするは、鬼器なり、祭器は、人器なり、古の人胡為れぞ其の親を死せしめんや」と。子遊、孔子に問いて曰く、「之を死として死を致すは、不仁にして、為すべからざるなり。之を死として生を致すは、不智にして、為すべからざるなり。凡そ盟器を為る者は、喪の道を知るなり。夫子始めて死すれば、則ち羔裘玄冠なる者は、之を易うるのみ、汝何ぞ疑わんや」と。

現代語訳

原思が曾子に言った。「夏の人々が葬送に際して盟器(死者専用の模造の器)を用いたのは、民に死者が生者のような認識を持たないことを示すためでした。殷の人々が生者と同じ祭器を用いたのは、民に死者もなお認識を持つことを示すためでした。周の人々が両方を併用したのは、民に死者が認識を持つか否か判断がつかないことを示すためでした。」曾子は「それは違う。そもそも盟器は死者・鬼のための器であり、祭器は生きた人のための器だ。昔の人が、どうして自分の親を器を通じて死んだものとして扱うようなことをしようか」と言った。子遊が孔子に尋ねた。「死者を単なる死者として扱いきってしまうのは、不仁であって、してはならないことです。かといって死者をあたかも生きているかのように扱いきってしまうのも、不知恵であって、してはならないことです。そもそも盟器を作るという行為自体が、喪の道理をわきまえていることの表れなのです。あなたは先生がまさに亡くなったばかりの頃の作法を言っておられるのですね。羔裘や玄冠を身につける通常の装いを喪の装いに改めるだけのことです。あなたは何を疑うことがありましょうか。」

解説

死者に対する副葬品のあり方をめぐって、夏・殷・周それぞれの時代の作法の違いが議論されています。原思は各王朝の使い分けを死生観の違いとして説明しましたが、曾子はそれを否定し、死者専用の器と生者用の器の性質の違いに着目しました。子遊はさらに、死者を完全に死んだものとして扱うのも、完全に生きているかのように扱うのも、いずれも極端で不適切であり、その中間で適切な道理をわきまえることこそが喪の本質だと結論づけています。死と生の狭間にある存在としての死者への向き合い方という、儒家の死生観の核心に触れる議論です。

この章句が説くこと

原思曽子盟器と祭器喪の道

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる