孔子家語 / 曲禮公西赤問
公儀仲子嫡子死,而立其弟,檀弓問子服伯子曰:「何居?我未之前聞也。」子服伯子曰:「仲子亦猶行古人之道,昔者文王拾伯邑考,而立武王,微子舍其孫腯,立其弟衍。」子遊以聞諸孔子,子曰:「否,周制立孫。」
新字:公儀仲子嫡子死,而立其弟,檀弓問子服伯子曰:「何居?我未之前聞也。」子服伯子曰:「仲子亦猶行古人之道,昔者文王拾伯邑考,而立武王,微子舎其孫腯,立其弟衍。」子遊以聞諸孔子,子曰:「否,周制立孫。」
書き下し
公儀仲子嫡子死す、而して其の弟を立つ、檀弓、子服伯子に問いて曰く、「何の居ぞ、我未だ之を前に聞かざるなり」と。子服伯子曰く、「仲子も亦た猶お古人の道を行うがごとし、昔者文王伯邑考を拾てて、武王を立つ、微子其の孫腯を舎てて、其の弟衍を立つ」と。子遊以て諸を孔子に聞く、子曰く、「否、周の制は孫を立つ」と。
現代語訳
公儀仲子は嫡子が亡くなると、その弟を後継ぎに立てた。檀弓が子服伯子に「これはどういうわけだろうか。私は今までこのような話を聞いたことがない」と尋ねた。子服伯子は「仲子もまた昔の人の道に倣っているだけだろう。昔、文王は伯邑考を差し置いて武王を立てた。微子も自分の孫の腯を差し置いて、自分の弟の衍を立てた」と答えた。子遊がこの話を孔子に伝えて尋ねると、孔子は言った。「いや、それは違う。周の制度では、嫡子が亡くなった場合はその子を立てるのが正しいのだ。」
解説
嫡子が亡くなった際、その後継ぎを誰にするかという問題について、子服伯子は文王や微子の先例を挙げて、弟を立てることも古くからの道であると弁護しました。しかし孔子はこれをはっきりと否定し、周の正式な制度では、嫡子の子を後継ぎに立てるのが本来の規定であると訂正しています。文王や微子の例は特殊な事情による例外であって、一般化して弟を立てる根拠とすべきではないという判断であり、先例を安易に一般原則として持ち出すことへの孔子の慎重な姿勢が表れています。
この章句が説くこと
公儀仲子嫡子継承周の制嫡孫
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