孔子家語 / 曲禮公西赤問
公西赤問於孔子曰:「大夫以罪免卒,其葬也如之何?」孔子曰:「大夫廢其事,終身不仕,死則葬之以士禮,老而政仕者,死則從其列。」
新字:公西赤問於孔子曰:「大夫以罪免卒,其葬也如之何?」孔子曰:「大夫廃其事,終身不仕,死則葬之以士礼,老而政仕者,死則従其列。」
書き下し
公西赤、孔子に問いて曰く、「大夫罪を以て免ぜられて卒す、其の葬は之を如何にせん」と。孔子曰く、「大夫其の事を廃し、終身仕えざれば、死すれば則ち之を葬るに士の礼を以てす、老いて政に仕うる者は、死すれば則ち其の列に従う」と。
現代語訳
公西赤が孔子に尋ねた。「大夫が罪によって職を免ぜられて亡くなった場合、その葬儀はどのようにすればよいのでしょうか。」孔子は答えた。「大夫としての職務をすべて失い、その後生涯にわたって二度と仕官しなかった者であれば、亡くなったときには士の身分の礼をもって葬る。一方、年を取ってから再び政務に仕えるようになった者であれば、亡くなったときにはその最終的な身分の列に従って葬る。」
解説
罪を得て大夫の職を免ぜられた者の葬儀の格式について、孔子はその後の身の処し方によって区別する明快な基準を示しています。免職後、二度と仕官することなく生涯を終えた者は、もはや大夫としての身分を保持していないとみなされ、より低い士の礼で葬られます。一方、後年になって再び登用され政務に復帰した者は、その最終的な身分にふさわしい礼で葬られます。過去の栄誉や身分に固執するのではなく、その人物が最終的にどのような立場にあったかによって礼の格式を定めるという、実質を重んじる合理的な考え方が示されています。
この章句が説くこと
公西赤大夫の罪士の礼身分と葬礼
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