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孔子家語 / 五刑解

冉有問於孔子曰:「先王制法,使刑不上於大夫,禮不下於庶人。然則大夫犯罪,不可以加刑;庶人之行事,不可以治於禮乎?」孔子曰:「不然。凡治君子以禮御其心,所以屬之以廉恥之節也。故古之大夫,其有坐不廉汙穢而退放之者,不謂之不廉汙穢而退放,則曰簠簋不飭。有坐淫亂男女無別者,不謂之淫亂男女無別,則曰帷幕不修也。有坐罔上不忠者,不謂之罔上不忠,則曰臣節未著。有坐罷軟不勝任者,不謂之罷軟不勝任,則曰下官不職。有坐幹國之紀者,不謂之幹國之紀,則曰行事不請。此五者,大夫既自定有罪名矣,而猶不忍斥,然正以呼之也。既而為之諱,所以愧恥之。是故大夫之罪,其在五刑之域者,聞而譴發;則白冠厘纓,盤水加劍,造乎闕而自請罪,君不使有司執縳牽掣而加之也。其有大罪者,聞命則北面再拜,跪而自裁,君不使人捽引而刑殺。曰:『子大夫自取之耳,吾遇子有禮矣。』以刑不上大夫而大夫亦不失其罪者,教使然也。所謂禮不下庶人者,以庶人遽其事而不能充禮,故不責之以備禮也。」冉有跪然免席曰:「言則美矣。求未之聞,退而記之。」

新字:冉有問於孔子曰:「先王制法,使刑不上於大夫,礼不下於庶人。然則大夫犯罪,不可以加刑;庶人之行事,不可以治於礼乎?」孔子曰:「不然。凡治君子以礼御其心,所以属之以廉恥之節也。故古之大夫,其有坐不廉汙穢而退放之者,不謂之不廉汙穢而退放,則曰簠簋不飭。有坐淫乱男女無別者,不謂之淫乱男女無別,則曰帷幕不修也。有坐罔上不忠者,不謂之罔上不忠,則曰臣節未著。有坐罷軟不勝任者,不謂之罷軟不勝任,則曰下官不職。有坐幹国之紀者,不謂之幹国之紀,則曰行事不請。此五者,大夫既自定有罪名矣,而猶不忍斥,然正以呼之也。既而為之諱,所以愧恥之。是故大夫之罪,其在五刑之域者,聞而譴発;則白冠厘纓,盤水加剣,造乎闕而自請罪,君不使有司執縳牽掣而加之也。其有大罪者,聞命則北面再拝,跪而自裁,君不使人捽引而刑殺。曰:『子大夫自取之耳,吾遇子有礼矣。』以刑不上大夫而大夫亦不失其罪者,教使然也。所謂礼不下庶人者,以庶人遽其事而不能充礼,故不責之以備礼也。」冉有跪然免席曰:「言則美矣。求未之聞,退而記之。」

書き下し

冉有孔子に問いて曰わく:「先王法を制するに、刑をして大夫に上らざらしめ、禮をして庶人に下らざらしむ。然らば則ち大夫罪を犯すも、以て刑を加う可からず。庶人の行事も、以て禮に治む可からざるか。」孔子曰わく:「然らず。凡そ君子を治むるに禮を以て其の心を御するは、之を屬するに廉恥の節を以てする所以なり。故に古の大夫、其れ不廉汙穢に坐して退放せらるる者有るも、之を不廉汙穢にして退放すと謂わず、則ち簠簋飭まらずと曰う。淫亂男女別無きに坐する者有るも、之を淫亂男女別無しと謂わず、則ち帷幕修まらずと曰う。罔上不忠に坐する者有るも、之を罔上不忠と謂わず、則ち臣節未だ著れずと曰う。罷軟にして任に勝えざるに坐する者有るも、之を罷軟にして任に勝えずと謂わず、則ち下官職せずと曰う。國の紀を幹すに坐する者有るも、之を國の紀を幹すと謂わず、則ち行事請わずと曰う。此の五者、大夫既に自ら罪名有るを定むれども、猶お斥するに忍びず、然れども正しく以て之を呼ぶなり。既にして之が爲に諱む、愧恥せしむる所以なり。是の故に大夫の罪、其の五刑の域に在る者は、聞きて譴發せらるれば、則ち白冠厘纓、盤水に劍を加え、闕に造りて自ら罪を請う、君有司をして執縳牽掣して之に加えしめざるなり。其れ大罪有る者は、命を聞けば則ち北面再拜し、跪きて自裁す、君人をして捽引して刑殺せしめざるなり。曰わく:『子大夫自ら之を取るのみ、吾子に遇うこと禮有り』と。刑大夫に上らずして大夫も亦た其の罪を失わざるは、教の然らしむるなり。所謂禮庶人に下らずとは、庶人其の事を遽しくして禮を充つる能わざるを以て、故に之を責むるに禮を備うるを以てせざるなり。」冉有跪然として席を免れて曰わく:「言えば則ち美なり。求未だ之を聞かず、退きて之を記さん。」

現代語訳

冉有が孔子に尋ねた。「先王が法を制定するにあたり、刑罰は大夫には及ばないようにし、礼は庶民にまでは及ばないようにしたといいます。それならば、大夫が罪を犯しても刑罰を加えることはできず、庶民の行いも礼によって律することはできないということでしょうか。」孔子は答えた。「そうではない。そもそも君子を治めるのに礼によってその心を制御するのは、廉潔と恥の節度をもって身を律させるためである。だから昔の大夫は、不廉潔で汚れた行いのために退けられ追放される者があっても、それを『不廉潔で汚れているから追放する』とは言わず、『祭器の管理が行き届いていない』と言った。淫乱で男女の区別がないことのために処罰される者があっても、それを『淫乱で男女の別がない』とは言わず、『帷幕(室内の仕切り)の整備が行き届いていない』と言った。君主を欺き不忠であったために処罰される者があっても、それを『君主を欺き不忠である』とは言わず、『臣下としての節操がまだ表れていない』と言った。無能で職務に堪えないために処罰される者があっても、それを『無能で職務に堪えない』とは言わず、『下級の役人が職責を果たしていない』と言った。国の綱紀を犯したために処罰される者があっても、それを『国の綱紀を犯した』とは言わず、『行うべきことを申請しなかった』と言った。この五つは、大夫がすでに自ら罪名を持つに至っていても、なお面と向かって指弾するには忍びないため、婉曲な言い方で呼ぶのである。こうして本当の罪状を隠すのは、その者に恥を感じさせるためである。だから大夫の罪が五刑に相当するほど重い場合、それを聞いて咎めが発せられれば、白い冠に麻の紐をつけ、水を張った盤に剣を添えて宮門に至り、自ら罪を認めて処罰を請う。君主は役人に縄目をかけて引っ立てさせるようなことはさせない。大罪を犯した者があれば、処罰の命を聞くと北を向いて再拝し、跪いて自ら命を絶つ。君主は人に取り押さえさせて処刑させることはしない。そして君主は『あなた自身が招いたことである。私はあなたに礼をもって接した』と言うのだ。刑罰が大夫に及ばないようにしながらも、大夫が罪を免れることがないのは、このような教えがそうさせているのである。いわゆる『礼が庶民に及ばない』というのは、庶民は日々の仕事に追われて礼を十分に尽くすことができないため、礼を完全に備えることを求めて咎めたりはしない、という意味である。」冉有は跪いて席を離れ、言った。「なんとすばらしいお言葉でしょう。私はまだこのことを聞いたことがありませんでした。退出して書き留めます。」

解説

本章は、「刑は大夫に上らず、礼は庶人に下らず」という古い格言の真意を、冉有の問いに孔子が答える形で説いたものです。大夫が刑罰を免れるわけではなく、婉曲な罪状名を用いて本人に恥を自覚させ、自ら処罰を受け入れさせるという、名誉を通じた自律の仕組みであったことが明らかにされます。庶民に礼を求めないのも、日々の労働に追われる境遇への配慮であって、礼を軽んじてよいという意味ではありません。地位や立場に応じて統治の方法を変えつつも、公正さと道理を貫くという発想は、現代における人材マネジメントや処分のあり方にも通じる示唆を含んでいます。

この章句が説くこと

刑不上大夫礼不下庶人廉恥冉有自裁

この一句を、あなたの毎日に。

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