孔子家語 / 曲禮子夏問
孔子之守狗死,謂子貢曰:「路馬死,則藏之以帷,狗則藏之以蓋,汝?埋之。吾聞弊幃不棄,為埋馬也,弊蓋不棄,為埋狗也。今吾貧無蓋,於其封也與之席,無使其首陷於土焉。」
新字:孔子之守狗死,謂子貢曰:「路馬死,則蔵之以帷,狗則蔵之以蓋,汝?埋之。吾聞弊幃不棄,為埋馬也,弊蓋不棄,為埋狗也。今吾貧無蓋,於其封也与之席,無使其首陥於土焉。」
書き下し
孔子の守狗死す、子貢に謂いて曰く、「路馬死すれば、則ち之を蔵むるに帷を以てし、狗は則ち之を蔵むるに蓋を以てす、汝?之を埋めよ。吾聞く、弊幃棄てざるは、馬を埋むるが為なり、弊蓋棄てざるは、狗を埋むるが為なりと。今吾貧にして蓋無し、其の封ずるに於て之に席を与えよ、其の首をして土に陥らしむること無かれ」と。
現代語訳
孔子の飼っていた番犬が死んだ。孔子は子貢に言った。「乗用の馬が死ねば、それを幕布で包んで葬り、犬が死ねば、車の覆いで包んで葬る。お前、この犬を埋めてやりなさい。私はこう聞いている。使い古した幕布を捨てずにとっておくのは馬を埋めるためであり、使い古した車の覆いを捨てずにとっておくのは犬を埋めるためであると。しかし今、私は貧しくて覆いになるようなものがない。埋葬するときには、この犬に筵を与え、その頭が直接土に埋もれてしまうことのないようにしてやりなさい。」
解説
孔子は、身分の高い馬や、身近に飼っていた番犬に対しても、それぞれの立場にふさわしい形で丁重に葬るべきだという配慮を示しています。本来であれば使い古した覆いを用いて埋葬するのが習わしですが、経済的に余裕がない状況では、せめて筵を用いて頭が直接土に触れないようにするという、できる範囲での誠意を尽くす姿勢が語られています。人間だけでなく、身近に仕えてくれた動物に対しても真心を込めて弔うという孔子の姿勢は、身分や種を問わず、関わりのあった存在への敬意と配慮を大切にする、礼の根底にある精神をよく表しています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
守狗子貢馬と犬の葬身の丈に応じた誠意
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孔子家語・弟子行衛の將軍文子、子貢に問いて曰わく、「吾れ聞く、孔子の教えを施すや、之に先んずるに詩書を以てし、之を道びくに孝悌を以てす。之を說くに仁義を以てし、之を觀るに禮樂を以てす。然る後に之を成すに文德を以てすと。蓋し室に入り堂に升る者、七十餘人。其れ孰か賢と為す。」子貢對うるに「知らず」を以てす。文子曰わく、「吾子の常に賢者と與に學ぶを以てなり、『知らず』とは何の謂いぞ。」子貢對えて曰わく、「賢人は妄無く、賢を知るは即ち難し。故に君子の言に曰わく、『智は人を知るより難きは莫し。』と。是を以て對え難きなり。」文子曰わく、「夫れ賢を知るの難からざる莫きが若きも、今吾子親しく遊ぶ、是を以て敢えて問う。」子貢曰わく、「夫子の門人蓋し三千就ける有り。賜は逮及する有り、未だ逮及せざる有り、故に遍く知りて以て告ぐる能わざるなり。」文子曰わく、「吾子の逮及する所の者、請う其の行を問わん。」
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史記 仲尼弟子列伝句践頓首再拝して曰く、「孤嘗て力を料らず、乃ち呉と戦ひ、会稽に困しみ、痛み骨髄に入り、日夜唇を焦がし舌を乾かし、徒だ呉王と踵を接して死せんと欲す、孤の願ひなり」と。遂に子貢に問ふ。子貢曰く、「呉王は人と為り猛暴にして、群臣堪へず。国家は数々戦ふを以て敝れ、士卒忍びず。百姓上を怨み、大臣内に変ず。子胥諫むるを以て死し、太宰嚭事を用ひ、君の過ちに順ひて以て其の私を安んず。是れ国を残ふの治なり。今王誠に士卒を発して之を佐けて其の志を徼め、重宝以て其の心を説ばしめ、卑辞以て其の礼を尊ばば、其の斉を伐つこと必せり。彼戦ひて勝たずんば、王の福なり。戦ひて勝たば、必ず兵を以て晋に臨まん、臣請ふ北のかた晋君に見え、共に之を攻めしめん、呉を弱むること必せり。其の鋭兵は斉に尽き、重甲は晋に困しみ、而して王其の敝を制せば、此れ呉を滅ぼすこと必せり」と。越王大いに説び、許諾す。子貢に金百鎰、剣一、良矛二を送る。子貢受けず、遂に行く。呉王に報じて曰く、「臣敬んで大王の言を以て越王に告ぐ、越王大いに恐れて、曰く、『孤不幸にして、少くして先人を失ひ、内に自ら量らず、罪を呉に抵し、軍敗れ身辱められ、会稽に棲み、国は虚莽と為る、大王の賜に頼りて、俎豆を奉じて祭祀を修むるを得しむ、死すとも敢へて忘れず、何の謀か之れ敢へて慮らん』と」と。後五日、越大夫種をして頓首して呉王に言はしめて曰く、「東海の役臣孤句践の使者臣種、敢へて下吏を修めて左右に問ふ。今竊かに聞く大王将に大義を興し、彊を誅し弱を救ひ、暴斉を困しめて周室を撫せんとすと、請ふ悉く境内の士卒三千人を起こさん、孤請ふ自ら堅を被り鋭を執りて、以て先づ矢石を受けん。因りて越の賤臣種先人の蔵器、甲二十領、鈇、屈盧の矛、歩光の剣を奉じて、以て軍吏を賀せしむ」と。呉王大いに説び、以て子貢に告げて曰く、「越王身ら寡人に従ひて斉を伐たんと欲す、可なるか」と。子貢曰く、「不可なり。夫れ人の国を空しくし、人の衆を悉くし、又其の君を従へるは、不義なり。君其の幣を受け、其の師を許して、其の君を辞せよ」と。呉王許諾し、乃ち越王に謝す。是に於いて呉王乃ち遂に九郡の兵を発して斉を伐つ。
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