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孔子家語 / 曲禮子夏問

子罕問於孔子曰:「始死之設重也,何為?」孔子曰:「重主道也,殷主綴重焉,周人徹重焉。請問喪朝。」子曰:「喪之朝也,順死者之孝心,故至於祖者,廟而後行。殷朝而後殯於祖,周朝而後遂葬。」

書き下し

子罕、孔子に問いて曰く、「始めて死するに重を設くるは、何の為ぞや」と。孔子曰く、「重は主の道なり、殷は重を綴めて主とす、周人は重を徹す。請う喪朝を問わん」と。子曰く、「喪の朝や、死者の孝心に順う、故に祖に至る者は、廟して而る後に行く。殷は朝して而る後に祖に殯す、周は朝して而る後に遂に葬る」と。

現代語訳

子罕が孔子に「人が亡くなったばかりのとき、重(位牌の代用となる木の柱)を設けるのは、どういう意味があるのですか」と尋ねた。孔子は答えた。「重は、位牌の役割を果たすものだ。殷の人々は重を後の位牌にそのままつなげて用いた。周の人々は重を位牌が完成した段階で取り除いた。」続けて「喪の朝(葬送前に廟に立ち寄る儀礼)についてお尋ねします」と問うと、孔子は答えた。「喪の朝の儀礼は、死者の孝心に従うものだ。だから祖先の廟に至る際は、廟に立ち寄ってからその後に出発する。殷の人々は廟に朝ってから祖廟で殯を行い、周の人々は廟に朝ってからそのまま葬送に進む。」

解説

人が亡くなった直後に立てる「重」という木の柱は、後に位牌が作られるまでの間、死者の霊を仮に宿らせる依り代としての役割を果たします。殷と周とでこの重の扱い方に違いがあったことが説明されています。また、葬送に先立って祖先の廟に立ち寄る「喪朝」の儀礼についても、これは死者が生前に祖先を敬っていた孝心を汲んで、最後に祖廟に挨拶をしてから旅立たせるという意味合いがあり、時代によって手順に違いがあったことが示されています。細部の儀礼にも、死者への配慮という一貫した精神が流れていることがわかります。

この章句が説くこと

子罕喪朝殷周の違い

この一句を、あなたの毎日に。

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