孔子家語 / 曲禮子夏問
孔子有母之喪,既練,陽虎吊焉,私於孔子曰:「今季氏將大饗境內之士,子聞諸?」孔子答曰:「丘弗聞也。若聞之,雖在衰絰,亦欲與?。」陽虎曰:「子謂不然乎,季氏饗士,不及子也。」陽虎出,曾點問曰:「吾之何謂也?」孔子曰:「己則衰服,猶應其言,示所以不非也。」
新字:孔子有母之喪,既練,陽虎吊焉,私於孔子曰:「今季氏将大饗境内之士,子聞諸?」孔子答曰:「丘弗聞也。若聞之,雖在衰絰,亦欲与?。」陽虎曰:「子謂不然乎,季氏饗士,不及子也。」陽虎出,曽点問曰:「吾之何謂也?」孔子曰:「己則衰服,猶応其言,示所以不非也。」
書き下し
孔子、母の喪有り、既に練して、陽虎吊う、孔子に私して曰く、「今季氏将に境内の士を大饗せんとす、子諸を聞くか」と。孔子答えて曰く、「丘聞かざるなり。若し之を聞かば、衰絰に在ると雖も、亦た与らんと欲せん」と。陽虎曰く、「子然らずと謂うか、季氏士を饗するも、子に及ばざるなり」と。陽虎出づ、曾点問いて曰く、「吾之を何とか謂う」と。孔子曰く、「己則ち衰服すれども、猶お其の言に応うるは、非とせざる所以を示すなり」と。
現代語訳
孔子は母の喪に服しており、すでに練祭を終えていた。陽虎が弔問に訪れ、孔子にひそかに「今、季氏が国内の士たちを盛大にもてなす宴を開こうとしています。あなたはこれをお聞きになっていますか」と尋ねた。孔子は「私はまだ聞いていない。もし聞いていたなら、たとえ喪服を着ている身であっても、参加したいと思うだろう」と答えた。陽虎は「あなたはそう言われるのですか。しかし季氏の宴には、あなたは招かれていないのですよ」と言った。陽虎が去った後、曾点が「先生はこれをどう思われますか」と尋ねた。孔子は答えた。「自分は喪服を着ている身であるのに、それでも参加したいという彼の言葉に応じたのは、彼のこの発言自体を非難しないのだという態度を示すためだ。」
解説
陽虎は孔子を暗にからかうような形で、季氏の宴に招かれていないことをほのめかしました。孔子は表面上は「聞いていれば参加したかった」と応じましたが、これは陽虎の無礼な言い草に真っ向から反発するのではなく、あえて相手の言葉を受け流すことで、事を荒立てずにやり過ごす配慮でした。喪中の身でありながらも、相手の失礼な物言いに対して感情的に反応せず、穏やかに応対することで場を収める、孔子の大人としての振る舞いの妙が示されています。
この章句が説くこと
陽虎母の喪曽点穏やかな応対
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