孔子家語 / 曲禮子夏問
孔子食於季氏,食祭,主人不辭不食,亦不飲而餐,子夏問曰:「禮也?」孔子曰:「非禮也,從主人也。吾食於少施氏而飽,少施氏食我以禮,吾食祭,作而辭曰:『疏食不足祭也。』吾餐而作辭曰:『疏食不敢以傷吾子之性。』主人不以禮,客不敢盡禮,主人盡禮,則客不敢不盡禮也。」
新字:孔子食於季氏,食祭,主人不辞不食,亦不飲而餐,子夏問曰:「礼也?」孔子曰:「非礼也,従主人也。吾食於少施氏而飽,少施氏食我以礼,吾食祭,作而辞曰:『疏食不足祭也。』吾餐而作辞曰:『疏食不敢以傷吾子之性。』主人不以礼,客不敢尽礼,主人尽礼,則客不敢不尽礼也。」
書き下し
孔子、季氏に食す、食祭するに、主人辞せず食せず、亦た飲まずして餐す、子夏問いて曰く、「礼か」と。孔子曰く、「礼に非ざるなり、主人に従うなり。吾少施氏に食して飽けり、少施氏我に食するに礼を以てす、吾食祭するに、作ちて辞して曰く、『疏食祭するに足らざるなり』と。吾餐して作ちて辞して曰く、『疏食敢えて吾が子の性を傷なわず』と。主人礼を以てせざれば、客敢えて礼を尽くさず、主人礼を尽くせば、則ち客敢えて礼を尽くさざらんや」と。
現代語訳
孔子が季氏の家で食事をとった際、食前の祭を行ったが、主人は何も断りの言葉を言わず、客が食べ始めるのを待たず、また酒も勧めずに食事だけが出された。子夏が「これは礼にかなっているのですか」と尋ねた。孔子は答えた。「礼にかなってはいない。ただ主人のやり方に合わせただけだ。私は以前、少施氏の家で食事をとって満足したことがある。少施氏は私を礼に則ってもてなしてくれた。私が食前の祭を行うと、少施氏は立ち上がって『粗末な食事で、祭を捧げるには値しません』と謙遜の言葉を述べた。私が食べ始めると、少施氏はまた立ち上がって『粗末な食事ですので、どうかあなた様のお体に障りませんように』と述べた。主人が礼を尽くさなければ、客もあえて礼を尽くそうとはしない。主人が礼を尽くせば、客もまた礼を尽くさずにはいられないものだ。」
解説
この章句が説くこと
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