孔子家語 / 曲禮子夏問
子夏問於孔子曰:「客至無所舍,而夫子曰:『生於我乎館,客死無所殯矣。』夫子曰,於我乎殯,敢問禮與?仁者之心與?」孔子曰:「吾聞諸老聃曰:『館人使若有之惡有之,惡有之而不得殯乎。』夫仁者制禮者也,故禮者不可不省也,禮不同不異,不豐不殺,稱其義以為之宜,故曰我戰則克,祭則受福,蓋得其道矣。」
新字:子夏問於孔子曰:「客至無所舎,而夫子曰:『生於我乎館,客死無所殯矣。』夫子曰,於我乎殯,敢問礼与?仁者之心与?」孔子曰:「吾聞諸老聃曰:『館人使若有之悪有之,悪有之而不得殯乎。』夫仁者制礼者也,故礼者不可不省也,礼不同不異,不豊不殺,称其義以為之宜,故曰我戦則克,祭則受福,蓋得其道矣。」
書き下し
子夏、孔子に問いて曰く、「客至りて舎する所無ければ、夫子曰く、『我に於て館せしめん』と、客死して殯する所無ければ、夫子曰く、我に於て殯せしめんと。敢えて問う、礼か、仁者の心か」と。孔子曰く、「吾諸を老聃に聞く、『館人をして之有るが若く之を悪ましめよ、之を悪みて殯するを得ざらんや』と。夫れ仁者は礼を制する者なり、故に礼は省みざるべからざるなり、礼は同じからず異ならず、豊ならず殺せず、其の義に称いて以て之を宜しくす、故に曰く、我戦えば則ち克ち、祭れば則ち福を受くと、蓋し其の道を得たり」と。
現代語訳
子夏が孔子に尋ねた。「客がやって来て泊まる場所がなければ、先生は『私のところに泊まらせよう』と言われ、客が亡くなって遺体を安置する場所がなければ、先生は『私のところで殯をしよう』と言われます。あえてお尋ねしますが、これは礼にかなったことなのでしょうか、それとも仁者としての心情によるものなのでしょうか。」孔子は答えた。「私は老聃からこう聞いている。『宿を貸す者には、まるで自分の身内であるかのように客を扱わせるがよい。まるで身内のように扱うなら、亡くなった際に殯を行わずにいられようか』と。そもそも仁者とは礼を制定する者なのだ。だから礼というものは、絶えず省み続けなければならない。礼は画一的でもなく、かといって場当たり的でもなく、豊かにしすぎることもなく簡略にしすぎることもなく、その事柄の道理にかなった適切な形を取るものだ。だから『私が戦えば勝ち、祭祀を行えば福を受ける』と言われるのだ。これはその礼の道理を正しく体得しているからにほかならない。」