孔子家語 / 曲禮子貢問
子張有父之喪,公明儀相焉,問啟顙於孔子。孔子曰:「拜而後啟顙,頹乎其順;啟顙而後拜,頎乎其至也。三年之喪,吾從其至也。」
新字:子張有父之喪,公明儀相焉,問啟顙於孔子。孔子曰:「拝而後啟顙,頹乎其順;啟顙而後拝,頎乎其至也。三年之喪,吾従其至也。」
書き下し
子張父の喪有り、公明儀相たり、啓顙を孔子に問う。孔子曰く、「拝して後に顙を啓くは、頹として其れ順なり。顙を啓きて後に拝するは、頎として其れ至れるなり。三年の喪には、吾其の至れるに従わん」と。
現代語訳
子張が父の喪に服していたとき、公明儀が儀式の進行役を務め、額を地につける「啓顙」の作法の順序について孔子に尋ねた。孔子は答えた。「まず拝礼をしてから額を地につけるのは、穏やかで順当なやり方だ。額を地につけてから拝礼するのは、痛切で極まった悲しみの表れだ。三年の喪においては、私は極まった悲しみを表す方のやり方に従いたい。」
解説
弔問客への礼として行う「啓顙(額を地に打ちつける動作)」と「拝」の順序には二通りのやり方があり、拝を先にするのが穏当な形、額をつけるのを先にするのがより悲痛さを強く表す形とされています。孔子は、最も重い喪である三年の喪(父母の喪)においては、あえて悲しみをより強く表す作法を選ぶべきだと述べています。喪の重さに応じて作法の選択を変えるという考え方は、形式が単なる決まりごとではなく、内面の悲しみの深さと結びついていることを示しています。
この章句が説くこと
子張啓顙三年の喪哀悼の表現
関連する章句
-
孔子家語・曲禮子夏問子貢、父母の喪に居るを問う。孔子曰く、「敬を上と為し、哀之に次ぎ、瘠を下と為す、顔色は情に称い、戚容は服に称う」と。曰く、「請う問う、兄弟の喪に居るを」と。孔子曰く、「則ち書筴に存するのみ」と。
-
孔子家語・曲禮子夏問子夏、夫子に問いて曰く、「凡そ喪小功已上は、虞祔練祥の祭に皆沐浴す。三年の喪に於ては、子則ち其の情を尽くせり」と。孔子曰く、「豈に徒に祭のみならんや。三年の喪には、身に瘍有れば則ち浴し、首に瘡有れば則ち沐す、病めば則ち酒を飲み肉を食らう、毀瘠して病むは、君子為さざるなり、毀して死する者は、君子之を為す、子無くんば則ち之を祭る、沐浴は斉潔を為すなり、飾りを為すに非ざるなり」と。
-
孔子家語・曲禮子貢問子遊、喪の具を問う。孔子曰く、「家の有亡に称う」と。子遊曰く、「有亡は焉くにか斉しからん」と。孔子曰く、「有らば、則ち礼に過ぐる無かれ。苟くも亡くんば、則ち手足の形を斂め、還葬して棺を懸けて封ず、人豈に之を非とする者有らんや。故に夫れ喪亡には、其の哀足らずして礼余り有らんよりは、礼足らずして哀余り有るに若かざるなり。祭祀には、其の敬足らずして礼余り有らんよりは、礼足らずして敬余り有るに若かざるなり」と。
-
孔子家語・曲禮子貢問孔子、衛に在り、衛の人に葬を送る者有り、夫子之を観て曰く、「善いかな、喪を為すや、以て法と為すに足るなり、小子之を識せ」と。子貢問いて曰く、「夫子何ぞ爾を善しとするや。其の往くや慕うが如く、其の返るや疑うが如し」と。子貢曰く、「豈に速やかに返りて虞するに若かんや」と。子曰く、「此れ情の至れる者なり、小子之を識せ、我未だ之に能わざるなり」と。
-
孔子家語・曲禮子夏問子夏問う、「三年の喪既に卒哭すれば、金革の事避くる無し、礼か、初め有司之を為すか」と。孔子曰く、「夏后氏の喪は、三年既に殯して、仕を致し、殷人は既に葬りて事を致し、周人は既に卒哭して事を致す。記に曰く、『君子は人の親を奪わず、亦た故を奪わざるなり』と」と。子夏曰く、「金革の事避くる無きは、非か」と。孔子曰く、「吾諸を老聃に聞く、『魯公伯禽為す有りて之を為すなり』と。公三年の喪を以て利に従う者は、吾知らざるなり」と。
-
孔子家語・曲禮子貢問魯の昭公の夫人呉孟子卒す、諸侯に赴せず。孔子既に仕を致し、而して吊う。季氏に適くに、季氏绖せず、孔子绖を投じて拝せず。子遊問いて曰く、「礼か」と。孔子曰く、「主人未だ服を成さざれば、則ち吊う者绖せず、礼なり」と。