孔子家語 / 曲禮子貢問
宣公八年六月辛巳,有事於太廟,而東門襄仲卒,壬午猶繹,子遊見其故,以問孔子曰:「禮與?」孔子曰:「非禮也,卿卒不繹。」
新字:宣公八年六月辛巳,有事於太廟,而東門襄仲卒,壬午猶繹,子遊見其故,以問孔子曰:「礼与?」孔子曰:「非礼也,卿卒不繹。」
書き下し
宣公八年六月辛巳、太廟に事有り、而して東門襄仲卒す、壬午猶お繹す、子遊其の故を見て、以て孔子に問いて曰く、「礼か」と。孔子曰く、「礼に非ざるなり、卿卒すれば繹せず」と。
現代語訳
魯の宣公八年六月辛巳の日、太廟で祭祀が行われていたが、その最中に東門襄仲が亡くなった。翌日の壬午の日にもなお繹祭(祭の翌日に行う祭)が行われた。子遊はその成り行きを見て、孔子に「これは礼にかなっているのですか」と尋ねた。孔子は答えた。「礼にかなってはいない。卿が亡くなったときは、繹祭を行わないものだ。」
解説
太廟の祭祀の最中に重臣の東門襄仲が亡くなったにもかかわらず、翌日の繹祭がそのまま行われたことについて、孔子は「卿が亡くなったときには繹祭を取りやめるのが礼である」ときっぱりと非としています。国家の重要な祭祀であっても、重臣の死という重大事が生じた以上は儀礼の続行を控えるべきだという判断です。祭祀を淡々と続けることよりも、死者への配慮を優先すべきだという礼の精神が端的に示された逸話であり、規則の遂行と人への配慮のどちらを優先すべきかを考えさせます。
この章句が説くこと
太廟繹祭東門襄仲卿卒の礼
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