孔子家語 / 曲禮子貢問
楚伐吳,工尹商陽與陳棄疾追吳師。及之,棄疾曰:「王事也,子手弓而可。」商陽手弓。棄疾曰:「子射諸。」射之,斃一人,韔其弓。又及,棄疾謂之。又及,棄疾復謂之。斃二人。每斃一人,輒掩其目,止其御曰:「吾朝不坐,燕不與。殺三人亦足以反命矣。」孔子聞之曰:「殺人之中,又有禮焉。」子路怫然進曰:「人臣之節,當君大事,唯力所及,死而後已。夫子何善此?」子曰:「然,如汝言也。吾取其有不忍殺人之心而已。」
新字:楚伐呉,工尹商陽与陳棄疾追呉師。及之,棄疾曰:「王事也,子手弓而可。」商陽手弓。棄疾曰:「子射諸。」射之,斃一人,韔其弓。又及,棄疾謂之。又及,棄疾復謂之。斃二人。毎斃一人,輒掩其目,止其御曰:「吾朝不坐,燕不与。殺三人亦足以反命矣。」孔子聞之曰:「殺人之中,又有礼焉。」子路怫然進曰:「人臣之節,当君大事,唯力所及,死而後已。夫子何善此?」子曰:「然,如汝言也。吾取其有不忍殺人之心而已。」
書き下し
楚、呉を伐つ、工尹商陽、陳棄疾と呉師を追う。之に及びて、棄疾曰く、「王事なり、子弓を手にするも可なり」と。商陽弓を手にす。棄疾曰く、「子之を射よ」と。之を射て、一人を斃し、其の弓を韔む。又及びて、棄疾之に謂う。又及びて、棄疾復た之に謂う。二人を斃す。人を斃す毎に、輒ち其の目を掩い、其の御を止めて曰く、「吾朝には坐せず、燕には与らず。三人を殺せば亦た以て命に反るに足れり」と。孔子之を聞きて曰く、「人を殺すの中にも、又礼有り」と。子路怫然として進みて曰く、「人臣の節は、君の大事に当たりては、唯だ力の及ぶ所、死して而る後已む。夫子何ぞ此を善しとする」と。子曰く、「然り、汝が言の如し。吾其の人を殺すに忍びざるの心有るを取るのみ」と。
現代語訳
楚が呉を攻めたとき、工尹の商陽は陳棄疾とともに呉軍を追撃した。追いついたとき、棄疾は「これは王の御用である。弓を手に取ってもよい」と言った。商陽が弓を手に取ると、棄疾は「射よ」と言った。商陽は射て一人を倒すと、すぐに弓を袋に収めてしまった。また追いつき、棄疾がまた促した。また追いつき、棄疾が重ねて促した。こうして二人を倒した。一人倒すたびに、その目を覆い隠すようにして、御者を止めて言った。「私は朝廷では末席にすら座れず、宴にも呼ばれない身だ。三人も殺せば十分に復命できるだろう。」孔子はこれを聞いて言った。「人を殺すという行為の中にも、なお礼というものがある。」子路はむっとして進み出て言った。「臣下の節義とは、主君の大事に当たっては、力の限りを尽くして死ぬまでやり抜くことです。先生はなぜこれをよいとされるのですか。」孔子は言った。「その通り、お前の言う通りだ。私はただ、彼に人を殺すことに忍びないという心があった、その点を評価しただけなのだ。」
解説

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