孔子家語 / 曲禮子貢問
孔子在齊,齊大旱,春饑。景公問於孔子曰:「如之何?」孔子曰:「凶年則乘駑馬,力役不興,馳道不修。祈以幣玉,祭祀不懸,祀以下牲。此賢君自貶以救民之禮也。」
新字:孔子在斉,斉大旱,春饑。景公問於孔子曰:「如之何?」孔子曰:「凶年則乗駑馬,力役不興,馳道不修。祈以幣玉,祭祀不懸,祀以下牲。此賢君自貶以救民之礼也。」
書き下し
孔子、齊に在り、齊大いに旱し、春饑う。景公、孔子に問いて曰く、「之を如何にせん」と。孔子曰く、「凶年には則ち駑馬に乗り、力役興さず、馳道修めず。祈るに幣玉を以てし、祭祀に懸けず、祀るに下牲を以てす。此れ賢君の自ら貶して以て民を救うの礼なり」と。
現代語訳
孔子が斉にいたとき、斉は大干魃に見舞われ、春には飢饉となった。景公が孔子に「どうしたらよいか」と尋ねた。孔子は答えた。「凶作の年には、君主は駄馬に乗り、労役を起こさず、道路の整備もしません。神への祈りには幣帛や玉を用い、祭祀では音楽を奏でず、供え物は格を落とした犠牲を用います。これが賢明な君主が自らを慎んで民を救う礼です。」
解説
大干魃と飢饉という非常時に、孔子は君主自身が贅沢や公共事業を控え、質素な祭祀に切り替えることを説いています。駄馬に乗ることや道路整備の停止は労役や出費の抑制を、音楽を伴わない簡素な祭祀は君主自ら範を示す姿勢を意味します。天災の際にまず為政者が自らの生活水準を落とし、民の負担を減らすという「自貶」の思想は、指導者が苦難を民と分かち合うべきだという普遍的な統治倫理を表しており、危機管理における指導者の姿勢として現代にも通じます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
凶年景公自貶民を救う礼
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