孔子家語 / 辯政
齊景公來適魯,舍於公館。使晏嬰迎孔子,孔子至。景公問政焉。孔子答曰:「政在節財。」
新字:斉景公来適魯,舎於公館。使晏嬰迎孔子,孔子至。景公問政焉。孔子答曰:「政在節財。」
書き下し
齊の景公來たりて魯に適き、公館に舍る。晏嬰をして孔子を迎えしめ、孔子至る。景公政を問う。孔子答えて曰わく、「政は財を節するに在り。」
現代語訳
斉の景公が魯にやって来て、公館に宿泊した。晏嬰に命じて孔子を迎えさせ、孔子が到着した。景公は政治について尋ねた。孔子は答えた。「政治の要諦は財を節約することにあります。」
解説
斉の景公が魯を訪れた際、晏嬰に命じて孔子を出迎えさせ、政治の要諦を尋ねた場面です。孔子の答えは「政在節財」というごく簡潔な一言でした。国政において財政を無駄遣いせず節約することを最優先に説くこの言葉は、続く問答で景公自身の奢侈な浪費ぶりを暗に指摘する伏線にもなっています。派手な事業や贅沢に走りがちな為政者への戒めとして、財政規律の重要性をひと言で言い当てた孔子の答えは、国家運営に限らず、あらゆる組織や家計の経営における普遍的な原則を示しています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
斉景公晏嬰政在節財財政規律問政
関連する章句
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孔子家語・辯政子貢、孔子に問いて曰わく、「昔者齊君政を夫子に問い、夫子曰わく、『政は財を節するに在り。』と。魯君政を夫子に問い、子曰わく、『政は臣を諭すに在り。』と。葉公政を夫子に問い、夫子曰わく、『政は近きを悅ばしめて遠きを來らしむるに在り。』と。三者の問いは一なるも、夫子之に應ずること同じからず。然らば政は端を異にするか。」孔子曰わく、「各々其の事に因ればなり。齊君國を為むるに、臺榭に奢り、苑囿に淫す。五官の伎樂、時に解けず。一旦にして人に賜うに千乘の家を以てする者三たびす。故に『政は財を節するに在り』と曰う。魯君に臣三人有り。內に比周して、以て其の君を愚にし、外に諸侯の賓を距ぎて、以て其の明を蔽う。故に『政は臣を諭すに在り』と曰う。夫れ荊の地、廣くして都狹し。民離心有り、其の居に安んずる莫し。故に『政は近きを悅ばしめて遠きを來らしむるに在り』と曰う。此の三者、政を為す所以殊なり。詩に云う、『喪亂資無く、曾て我が師を惠まず。』と。此れ奢侈節せざるを傷みて、以て亂と為す者なり。又た曰わく、『其の共を止むるに匪ず、惟れ王の邛なり。』と。此れ奸臣主を蔽うを傷みて、以て亂と為すなり。又た曰わく、『亂離瘼めり、奚くにか其れ適き歸らん。』と。此れ離散を傷みて以て亂と為す者なり。此の三者を察するに、政の欲する所、豈に同じからんや。」
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孔子家語・辯政哀公、政を孔子に問う。孔子對えて曰わく、「政の急なる者は、民をして富ましめ且つ壽たらしむるより大なるは莫し。」公曰わく、「之を為すこと奈何。」孔子曰わく、「力役を省き、賦斂を薄くせば、則ち民富む。禮教を敦くし、罪疾に遠ざかれば、則ち民壽たり。」公曰わく、「寡人夫子の言を行わんと欲するも、恐らくは吾が國貧しからん。」孔子曰わく、「詩に云う、『愷悌の君子は、民の父母なり。』未だ子富みて父母貧しき者有らざるなり。」
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説苑・政理子貢曰く、「葉公、政を夫子に問う。夫子曰く、『政は附近來遠に在り』と。魯の哀公、政を夫子に問う。夫子曰く、『政は臣を諭すに在り』と。齊の景公、政を夫子に問う。夫子曰く、『政は節用に在り』と。三君政を夫子に問いて、夫子之に應ずること同じからず。然らば則ち政に異なる有るか。」孔子曰く、「夫れ荊の地は廣くして都は狹く、民離志有り。故に曰く、附近して遠を來すに在り、と。哀公に臣三人有り、內には周公を比して以て其の君を惑わし、外には諸侯賓客を障げて以て其の明を蔽う。故に曰く、政は臣を諭すに在り、と。齊の景公、臺榭に奢り、苑囿に淫し、五官の樂解けず、一旦にして人に百乘の家を賜う者三たびす。故に曰く、政は節用に在り、と。此の三者は政なり。詩に云わずや、『亂離斯に瘼み、爰に其れ適に歸せん』とは、此れ離散を傷みて以て亂と為す者なり。『其の共を止めず、惟れ王の邛』とは、此れ姦臣の主を蔽うを傷みて以て亂と為す者なり。『相亂れて資無く、魯我が師を惠まず』とは、此れ奢侈節せざるを傷みて以て亂と為す者なり。此の三者の欲する所を察するに、政其れ同じきかな。」
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孔子家語・大婚解孔子哀公に侍坐す。公問いて曰く、「敢えて問う、人道孰れをか大と為す。」孔子愀然として色を作して対えて曰く、「君此の言に及ぶや、百姓の恵みなり。固より臣敢えて辞無くして対えざらんや。人道は、政を大と為す。夫れ政なる者は、正なり。君正を為せば、則ち百姓従いて正し。君の為す所は、百姓の従う所なり。君正を為さずんば、百姓何くにか従う所ぞ。」
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『韓非子』難三第三十八貴妾をして后に二せしめざるは、二難なり。愛孽をして正適を危ふくせしめず、専ら一臣に聴きて敢て君に偶せしめざる、此れ則ち三難と謂ふべきなり。葉公子高、政を仲尼に問ふ。仲尼曰く、「政は近きを悦ばして遠きを来たすに在り。」哀公、政を仲尼に問ふ。仲尼曰く、「政は賢を選ぶに在り。」斉の景公、政を仲尼に問ふ。仲尼曰く、「政は財を節するに在り。」三公出づ。子貢問ひて曰く、「三公、夫子に政を問ふは一なり。夫子の之に対ふること同じからざるは、何ぞや。」仲尼曰く、「葉は都大にして国小なり、民に背心有り。故に曰く『政は近きを悦ばして遠きを来たすに在り』と。魯の哀公には大臣三人有り、外は諸侯四隣の士を障距し、内は比周して以て其の君を愚にし、宗廟をして掃除せず、社稷をして血食せざらしむる者は、必ず是の三臣なり。故に曰く『政は賢を選ぶに在り』と。斉の景公は雍門を築き、路寝を為り、一朝にして三百乗の家を以て賜ふ者三たび。故に曰く『政は財を節するに在り』と。」或ひと曰く、仲尼の対は、亡国の言なり。葉の民倍心有り、而して之に説くに「近きを悦ばして遠きを来たす」を以てするは、則ち是れ民に恵を懐ふを教ふるなり。恵の政為る、功無き者賞を受け、罪有る者免る。此れ法の敗るる所以なり。法敗れて政乱る。乱政を以て敗民を治むるは、未だ其の可なるを見ざるなり。且つ民に倍心有るは、君上の明、及ばざる所有ればなり。葉公の明を紹がずして、之をして近きを悦ばして遠きを来たさしむるは、是れ吾が勢の能く禁ずる所を舎てて、下と恵を行ひて以て民を争はしむるなり、能く勢を持する者に非ざるなり。夫れ堯の賢は、六王の冠なり。舜一たび徙りて邑を成し、而して堯天下無し。人有りて術以て下を禁ずる無く、舜と為りて其の民を失はざるを恃むは、亦術無からずや。明君は小姦を微に見る、故に民に大謀無し。小誅を細に行ふ、故に民に大乱無し。此れを「難きを其の易きに図り、大を其の細に為す」と謂ふなり。
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史記 孔子世家斉の太師と楽を語り、韶の音を聞きて之を学ぶ、三月肉の味を知らず、斉人之を称す。景公政を孔子に問ふ、孔子曰く、「君君たり、臣臣たり、父父たり、子子たり」と。景公曰く、「善いかな。信に如し君君たらず、臣臣たらず、父父たらず、子子たらずんば、粟有りと雖も、吾豈に得て諸を食はんや」と。他日又復た政を孔子に問ふ、孔子曰く、「政は財を節するに在り」と。景公説び、将に尼谿の田を以て孔子を封ぜんと欲す。晏嬰進みて曰く、「夫れ儒者は滑稽にして軌法とすべからず。倨傲にして自ら順ひ、以て下と為すべからず。喪を崇び哀を遂げ、産を破りて葬を厚くす、以て俗と為すべからず。游説して乞貸す、以て国を為むべからず。大賢の息みしより、周室既に衰へ、礼楽缺くること間有り。今孔子は容飾を盛んにし、登降の礼、趨詳の節を繁くす、累世も其の学を殫くす能はず、当年も其の礼を究むる能はず。君之を用ひて以て斉の俗を移さんと欲するは、細民に先んずる所以に非ざるなり」と。後、景公敬して孔子に見ゆるも、其の礼を問はず。異日、景公孔子を止めて曰く、「子を奉ずるに季氏を以てするは、吾能はず」と。季・孟の間を以て之を待す。斉の大夫孔子を害せんと欲す、孔子之を聞く。景公曰く、「吾老いたり、用ふる能はざるなり」と。孔子遂に行き、魯に反る。孔子年四十二、魯の昭公乾侯に卒し、定公立つ。定公立ちて五年、夏、季平子卒し、桓子嗣ぎて立つ。季桓子井を穿ちて土缶を得たり、中に羊の若きもの有り、仲尼に問ひて「狗を得たり」と云ふ。仲尼曰く、「丘の聞く所を以てすれば、羊なり。丘之を聞く、木石の怪は夔・罔閬、水の怪は龍・罔象、土の怪は墳羊なりと」と。呉越を伐ち、会稽を墮ち、骨節の車を専らにするを得たり。呉、使をして仲尼に問はしむ、「骨は何者か最も大なる」と。仲尼曰く、「禹、羣神を会稽山に致す、防風氏後れて至る、禹殺して之を戮す、其の節車を専らにす、此を大と為す」と。呉の客曰く、「誰をか神と為す」と。