孔子家語 / 曲禮子貢問
南宮敬叔以富得罪於定公,奔衛。衛侯請復之,載其寶以朝。夫子聞之曰:「若是其貨也,喪不若速貧之愈。」子遊侍曰:「敢問何謂如此?」孔子曰:「富而不好禮,殃也。敬叔以富喪矣,而又弗改,吾懼其將有後患也。」敬叔聞之,驟如孔氏,而後循禮施散焉。
新字:南宮敬叔以富得罪於定公,奔衛。衛侯請復之,載其宝以朝。夫子聞之曰:「若是其貨也,喪不若速貧之愈。」子遊侍曰:「敢問何謂如此?」孔子曰:「富而不好礼,殃也。敬叔以富喪矣,而又弗改,吾懼其将有後患也。」敬叔聞之,驟如孔氏,而後循礼施散焉。
書き下し
南宮敬叔、富を以て定公に罪を得て、衛に奔る。衛侯之を復せんことを請い、其の宝を載せて以て朝す。夫子之を聞きて曰く、「是くの若きは其れ貨なり、喪うは速やかに貧しきの愈れるに若かず」と。子遊侍して曰く、「敢えて問う、何ぞ此くの如きを謂うや」と。孔子曰く、「富みて礼を好まざるは、殃いなり。敬叔は富を以て喪えり、而も又改めずんば、吾其の将に後患有らんことを懼る」と。敬叔之を聞き、驟かに孔氏に如きて、而る後礼に循いて施散せり。
現代語訳
南宮敬叔は富のために魯の定公から咎めを受け、衛に亡命した。衛の君主が彼の復帰を願い出て、敬叔は財宝を車に積んで帰国し、それを誇示するように朝廷に参内した。孔子はこれを聞いて、「これほど財貨に執着するとは、地位を失うくらいなら、いっそ早く貧しくなってしまう方がましだ」と言った。子遊が側に控えていて「あえてお尋ねしますが、なぜそのように言われるのですか」と尋ねた。孔子は言った。「富んでいながら礼を好まないのは災いのもとだ。敬叔は富のために地位を失ったのに、それでもなお改めないなら、私はその先に禍が起こることを恐れる。」敬叔はこれを聞くと、急いで孔子のもとへ行き、その後は礼に従って財産を人々に分け与えた。
解説
南宮敬叔は魯の名門の出でありながら、富に頼って驕り高ぶったために罪を得て衛へ亡命しました。帰国が許されてもなお財宝を誇示するような振る舞いを続けたため、孔子は「富みて礼を好まざるは殃いなり」と厳しく戒めています。財産そのものが悪いのではなく、それに驕って礼を欠くことこそが災いを招くという教えです。敬叔がこの言葉を聞いてすぐに態度を改め、財産を分け与えたという結末は、過ちを指摘されて速やかに改める姿勢の大切さも合わせて示しています。
この章句が説くこと
南宮敬叔富貴と礼驕り改過
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