孔子家語 / 正論解
子遊問於孔子曰:「夫子之極言子產之惠也,可得聞乎?」孔子曰:「惠在愛民而已矣。」子遊曰:「愛民謂之德教,何翅施惠哉?」孔子曰:「夫子產者,猶眾人之母也。能食之,弗能教也。」子遊曰:「其事可言乎?」孔子曰:「子產以所乘之輿濟冬涉者,是愛無教也。」
新字:子遊問於孔子曰:「夫子之極言子産之恵也,可得聞乎?」孔子曰:「恵在愛民而已矣。」子遊曰:「愛民謂之徳教,何翅施恵哉?」孔子曰:「夫子産者,猶眾人之母也。能食之,弗能教也。」子遊曰:「其事可言乎?」孔子曰:「子産以所乗之輿済冬渉者,是愛無教也。」
書き下し
子游、孔子に問いて曰く、「夫子の子産の恵を極めて言えるや、聞くを得べきか。」孔子曰く、「恵は民を愛するに在るのみ。」子游曰く、「民を愛するは之を徳教と謂う、何ぞ翅に恵を施すのみならんや。」孔子曰く、「夫れ子産は、猶お衆人の母のごとし。能く之を食わしむるも、教うる能わざるなり。」子游曰く、「其の事言うべきか。」孔子曰く、「子産、乗る所の輿を以て冬に渉る者を済せり、是れ愛にして教無きなり。」
現代語訳
子游が孔子に尋ねて言った、「先生が子産の恵み深さを極めて称賛なさっていましたが、その理由をお聞かせいただけますか。」孔子は言った、「その恵みとは、民を愛することにほかならない。」子游は言った、「民を愛することは徳による教化と言うべきものです。単に恵みを施すだけのこととどう違うのでしょうか。」孔子は言った、「そもそも子産という人は、多くの人々にとっての母のようなものだ。人々を食べさせることはできても、教え導くことまではできなかったのだ。」子游は言った、「その具体的な事例をお聞かせいただけますか。」孔子は言った、「子産は自分の乗る車で、冬に川を渡ろうとする人々を渡らせてやった。これは愛ではあるが、教化ではないのだ。」
解説
本章は、孔子がかつて称賛した鄭の子産の「恵み」の本質について、子游が改めて問い直した問答です。孔子は子産の恵みを「民を愛すること」と定義しますが、子游はそれが徳による教化とどう異なるのかを問います。孔子は、子産は人々を養うことはできても、根本から人々を教え導く教化にまでは至らなかったと評し、その具体例として、冬に川を渡る人々を自分の車に乗せて渡してやった逸話を挙げます。一時的な救済は確かに愛情の表れですが、根本的な問題解決である教化には及ばないという指摘です。目先の困難を助けることと、人々の力を根本から育てることの違いを説くこの教えは、福祉や支援のあり方を考える現代においても重要な視点を提供してくれます。
この章句が説くこと
子游子産愛民徳教根本的解決
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孔子家語・辯政子貢、孔子に聞きて曰わく、「夫子の子産・晏子に於けるや、至れりと為す可し。敢えて問う、二大夫の為す所、夫子の之に與する所以を目せん。」孔子曰わく、「夫れ子産は民に於いて惠主為り、學に於いて博物為り。晏子は君に於いて忠臣為り、行い恭敏為り。故に吾れ皆兄を以て之に事え、愛敬を加う。」
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孟子・離婁章句下子產、鄭國の政を聽き、其の乘輿を以て、人を溱洧に濟せり。孟子曰く、「惠なれども政を為すを知らず。歲の十一月には徒杠成り、十二月には輿梁成らば、民未だ渉るを病まざるなり。君子、其の政を平らかにせば、行きて人を辟けしむるも可なり。焉くんぞ人人にして之を濟すを得ん。故に政を為す者は、人每にして之を悅ばさんとせば、日も亦た足らず。」
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孔子家語・正論解鄭に鄉校有り。鄉校の士、執政を非論す。鬷明鄉校を毀たんと欲す。子產曰く、「何を以て毀つと為すや。夫れ人朝夕退きて遊び、以て執政の善否を議す。其の善しとする所は、吾則ち之を行い、其の否とする所は、吾則ち之を改む。之を若何ぞ其れ毀たんや。我聞く、忠言以て怨みを損ずと、威を立てて以て怨みを防ぐを聞かず。怨みを防ぐは、猶お水を防ぐがごとし。大決の犯す所は、人を傷つくること必ず多し、吾克く救う能わざるなり。小決して之を導かしむるに如かず、吾聞く所にして之を藥するに如かず。」孔子是の言を聞きて曰く、「吾是を以て之を觀るに、人子產を不仁と謂うも、吾信ぜざるなり。」
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論語・公冶長篇子、子産を謂う、「君子の道四つ有り。其の己を行うや恭、其の上に事うるや敬、其の民を養うや恵、其の民を使うや義。」
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孔子家語・正論解鄭の子産、疾有り。子太叔に謂いて曰く、「我死せば、子必ず政を為さん。唯だ徳有る者のみ能く寛を以て民を服せしむ。其の次は猛に如くは莫し。夫れ火烈しければ民望みて之を畏る、故に死する者鮮し。水は濡弱にして、民狎れて之を翫ぶ、則ち死する者多し。故に寛は難し。」子産卒す。子太叔政を為す。猛にするに忍びずして寛にす、鄭国掠盗多し。太叔之を悔いて曰く、「吾早く夫子に従わば、必ず此に及ばざりしならん。」孔子之を聞きて曰く、「善いかな。政寛なれば則ち民慢る、慢れば則ち猛を以て之を糾す。猛なれば則ち民残なわる、民残なわれば則ち之を施すに寛を以てす。寛以て猛を済い、猛以て寛を済う、寛猛相済いて、政是を以て和す。詩に曰く、『民亦た労れたり、汔んど小康なるべし。此の中国を恵み、以て四方を綏んぜよ。』寛を以て之を施し、詭随を縦にする毋かれ。以て無良を謹み、寇虐を式め遏め、慘として明を畏れざるを、之を糾すに猛を以てするなり。遠きを柔らげ邇きを能くし、以て我が王を定む、之を平らかにするに和を以てするなり。」又曰く、「競わず絿がず、剛ならず柔ならず。政を布くこと優優たり、百禄是れ遒まる。和の至りなり。」子産の卒するや、孔子之を聞き、涕を出して曰く、「古の遺愛なり。」