孔子家語 / 正論解
季康子欲以一井田出法賦焉,使訪孔子。子曰:「丘弗識也。」冉有三發卒,曰:「子為國老,待子而行,若之何子之不言?」孔子不對,而私於冉有曰:「求,汝來。汝弗聞乎?先王制土,借田以力,而底其遠近;賦里以入,而量其無有;任力以夫,而議其老幼。於是鰥寡孤疾老者:有軍旅之出,則徵之;無,則已。其歲收,田一井出,獲禾秉,缶米芻?不是過,先王以為之足。君子之行,必度於禮。施,取其厚;事,舉其中;歛,從其薄。若是其已,丘亦足矣。不度於禮,而貪冒無厭;則雖賦田,將有不足。且子孫若以行之而取法,則有周公之典在。若欲犯法,則茍行之,又何訪焉?」
新字:季康子欲以一井田出法賦焉,使訪孔子。子曰:「丘弗識也。」冉有三発卒,曰:「子為国老,待子而行,若之何子之不言?」孔子不対,而私於冉有曰:「求,汝来。汝弗聞乎?先王制土,借田以力,而底其遠近;賦里以入,而量其無有;任力以夫,而議其老幼。於是鰥寡孤疾老者:有軍旅之出,則徴之;無,則已。其歳収,田一井出,獲禾秉,缶米芻?不是過,先王以為之足。君子之行,必度於礼。施,取其厚;事,舉其中;歛,従其薄。若是其已,丘亦足矣。不度於礼,而貪冒無厭;則雖賦田,将有不足。且子孫若以行之而取法,則有周公之典在。若欲犯法,則苟行之,又何訪焉?」
書き下し
季康子、一井の田を以て法賦を出ださんと欲し、孔子に訪わしむ。子曰く、「丘識らざるなり。」冉有三たび発して卒に曰く、「子は国老為り、子を待ちて行わんとす、之を若何ぞ子の言わざるや。」孔子対えず、而して私かに冉有に曰く、「求、汝来たれ。汝聞かざるか。先王土を制するに、田を借るに力を以てし、其の遠近を底む。里を賦するに入を以てし、其の有無を量る。力を任ずるに夫を以てし、其の老幼を議す。是に於て鰥寡孤疾老いたる者は、軍旅の出づる有れば則ち之を徴し、無ければ則ち已む。其の歳収は、田一井、禾秉を獲、缶米芻。是を過ぎずして、先王以て之を足れりと為す。君子の行いは、必ず礼に度る。施すには、其の厚きを取り、事には、其の中を挙げ、歛むるには、其の薄きに従う。是くの若くならば已みなん、丘も亦た足れりとせん。礼に度らずして、貪冒厭くこと無くんば、則ち田を賦すと雖も、将に足らざる有らんとす。且つ子孫若し之を行うを以て法を取らんとせば、則ち周公の典有り。若し法を犯さんと欲せば、則ち茍且に之を行わん、又た何ぞ訪わんや。」
現代語訳
季康子は、井田(一定面積の田)ごとに定めた税を課そうとし、孔子に相談させた。孔子は言った、「私はよく分かりません。」冉有が三度尋ね、最後に言った、「あなたは国の長老です、あなたの言葉を待って実施しようとしているのに、どうしてお答えにならないのですか。」孔子は表立って答えず、こっそり冉有に言った、「求よ、お前はこちらへ来なさい。お前は聞いたことがないか。昔の聖王が土地の制度を定めるにあたっては、田を治めるのに人の労力を基準とし、その遠近に応じて公平にした。村里への課税は収穫量に応じて課し、それぞれの有無を測った。労役の割り当ては成人男子を基準とし、その老幼を考慮した。そこで、やもめ・寡婦・孤児・病人・老人には、軍事の出動があれば徴発し、なければ免除した。その年の収穫は、井田一区画あたり、これこれの穀物の束、これこれの米・飼料が取れる、それを超えない範囲で、先王はそれで十分だとした。君子の行いは、必ず礼にかなうように測るものだ。施しをするときはその厚いものを選び、事業を行うときはその中庸を取り、税を取り立てるときはその軽いものに従う。このようであれば十分だ、私もそれで満足しよう。しかし礼にかなうことを考えず、貪欲に飽くことを知らなければ、たとえ田に税を課しても、なお足りないことになるだろう。それに、もし子孫が正しい先例に従って行おうとするならば、周公の定めた典章がある。もし法を犯してでも強引に実行しようというなら、勝手にやればよい、何を私に相談する必要があろうか。」
解説

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