孔子家語 / 正論解
趙簡子賦晉國一鼓鐘,以鑄刑鼎,著範宣子所為刑書。孔子曰:「晉其亡乎?失其度矣。夫晉國將守唐叔之所受法度,以經緯其民者也。卿大夫以序守之,民是以能遵其道而守其業,貴賤不愆,所謂度也。文公是以作執秩之官,為被廬之法,以為盟主。今棄此度也,而為刑鼎,銘在鼎矣,何以尊貴?何業之守也?貴賤無序,何以為國?且夫宣子之刑,夷之搜也,晉國亂制,若之何其為法乎。」
新字:趙簡子賦晋国一鼓鐘,以鋳刑鼎,著範宣子所為刑書。孔子曰:「晋其亡乎?失其度矣。夫晋国将守唐叔之所受法度,以経緯其民者也。卿大夫以序守之,民是以能遵其道而守其業,貴賤不愆,所謂度也。文公是以作執秩之官,為被廬之法,以為盟主。今棄此度也,而為刑鼎,銘在鼎矣,何以尊貴?何業之守也?貴賤無序,何以為国?且夫宣子之刑,夷之捜也,晋国乱制,若之何其為法乎。」
書き下し
趙簡子、晋国に一鼓鐘を賦し、以て刑鼎を鋳て、範宣子の為す所の刑書を著す。孔子曰く、「晋は其れ亡びんか。其の度を失えり。夫れ晋国は将に唐叔の受くる所の法度を守り、以て其の民を経緯すべき者なり。卿大夫序を以て之を守り、民是を以て能く其の道に遵いて其の業を守り、貴賤愆らざるは、所謂度なり。文公是を以て執秩の官を作り、被廬の法を為し、以て盟主と為れり。今此の度を棄てて、刑鼎を為り、銘鼎に在り、何を以て貴を尊ばん。何の業をか守らん。貴賤序無くば、何を以て国と為さん。且つ夫れ宣子の刑は、夷の搜なり、晋国乱制、之を若何にして其れ法と為さんや。」
現代語訳
趙簡子は晋国に鉄鼓一つ分の税を課し、それで刑法を刻んだ鼎を鋳造し、范宣子が制定した刑法の条文を刻みつけた。孔子は言った、「晋は滅びるのではないか。その根本の法度を失ってしまった。そもそも晋国は、始祖唐叔が周王から受けた法度を守り、それによって民を治めるべき国である。卿大夫が身分の序列に従ってこれを守り、民もそれによってその道に従い自らの家業を守り、身分の上下が乱れないこと、これが法度というものである。文公はこれによって執秩の官を設け、被廬の法を定め、諸侯の盟主となった。それなのに今、この法度を捨てて刑法を刻んだ鼎を作り、その銘文が鼎に刻まれてしまった。これでどうして貴い身分を尊ぶことができようか。どうして家業を守ることができようか。身分の上下に秩序がなければ、どうして国を成り立たせることができようか。そもそも范宣子の刑法は、夷の地で軍を閲兵した際に定められたもので、晋国の乱れた制度である。これをどうして正しい法と言えようか。」
解説

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『春秋左氏伝』昭公二十九年 晋、刑鼎を鋳る對へて曰く、「少皞氏に四叔有り、重と曰ひ、該と曰ひ、脩と曰ひ、熙と曰ふ。實に能く金・木及び水をす。重をして句芒と為し、該を蓐收と為し、脩及び熙を玄冥と為す。世々職を失はず、遂に窮桑を濟す。此れ其の三祀なり。顓頊氏に子有り、犁と曰ふ、祝融と為る。共工氏に子有り、句龍と曰ふ、后土と為る。此れ其の二祀なり。后土を社と為す。稷は田正なり。烈山氏の子有り、柱と曰ふ、稷と為る。夏より以上之を祀る。周の棄も亦た稷と為る、商より以來之を祀る」と。冬、晉の趙鞅・荀寅、師を帥ゐて汝濱に城き、遂に晉國に一鼓の鐵を賦し、以って刑鼎を鑄、范宣子の所謂刑書を著す。仲尼曰く、「晉其れ亡びんか。其の度を失へり。夫れ晉國は將に唐叔の受けし所の法度を守り、以って其の民を經緯し、卿大夫序を以って之を守らんとす。民是を以って能く其の貴を尊び、貴是を以って能く其の業を守る。貴賤愆(たが)はざる、所謂度なり。文公是を以って執秩の官を作り、被廬の法を為り、以って盟主と為る。今是の度を棄てて、刑鼎を為る。民鼎に在り、何を以ってか貴を尊ばん。貴何の業をか之れ守らん。貴賤序無くんば、何を以ってか國を為めん。且つ夫れ宣子の刑は、夷の蒐なり、晉國の亂制なり。之を若何ぞ以って法と為さん」と。蔡史墨曰く、「范氏・中行氏其れ亡びんか。中行寅は下卿為りて、上令を干し、擅に刑器を作りて、以って國法と為す。是れ法の姦なり。又范氏を加ふ、之を易ふるは、亡なり。其れ趙氏に及ばん、趙孟與ればなり。然れども已むを得ずんば、若し德あらば、以って免るべし」と。
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孔子家語・始誅孔子魯の大司寇と為り、父子訟うる者有り。夫子同狴に之を執う。三月別たず、其の父止めんことを請う。夫子之を赦す。季孫之を聞き、悦ばずして曰く、「司寇余を欺けり。曩に余に告げて曰く、『国家必ず孝を以て先とす』と。余今一の不孝を戮して以て民に孝を教うるは、亦た可ならずや。而るに又之を赦すは、何ぞや。」冉有以て孔子に告ぐ。子喟然として嘆じて曰く、「嗚呼、上其の道を失いて、其の下を殺すは、理に非ざるなり。孝を教えずして其の獄を聴くは、是れ不辜を殺すなり。三軍大敗するも、斬るべからざるなり。獄犴治まらざるも、刑すべからざるなり。何となれば、上の教之を行わざるは、罪民に在らざるが故なり。夫れ令を慢りて誅を謹むは、賊なり。斂を征するに時無きは、暴なり。試みずして成るを責むるは、虐なり。政此の三者無くして、然る後刑即くべきなり。書に云う、『義刑、義殺庸うる勿かれ、以て汝の心に即けよ、惟だ未だ事を慎むこと有らずと曰え』と。必ず教えて而る後に刑すを言うなり。既に道徳を陳べて以て先ず之に服せしめ、而して猶お可ならざれば、賢を尚びて以て之を勧め、又可ならざれば、即ち之を廃し、又可ならざれば、而る後に威を以て之を憚らしむ。是の若くすること三年にして、百姓正し。其れ邪民の化に従わざる者有れば、然る後に之を待つに刑を以てすれば、則ち民咸な罪を知る。詩に云う、『天子是れ毗け、民をして迷わざらしむ』と。是を以て威厳にして試みず、刑錯きて用いず。今の世は則ち然らず、其の教を乱して其の刑を繁くし、民をして迷惑して焉に陥らしめ、又従いて之を制す。故に刑彌いよ繁くして、盗勝えず。夫れ三尺の限、空車も登ること能わざる者は何ぞや、峻なるが故なり。百仞の山、重載も陟る者は何ぞや、陵遅なるが故なり。今世俗の陵遅久し、刑法有りと雖も、民踰ゆること勿からんや。」
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『春秋左氏伝』昭公六年 鄭人、刑書を鋳る六年春、王の正月、杞の文公卒す。弔ふこと同盟の如し。禮なり。大夫秦に如きて景公を葬る。禮なり。三月、鄭人刑書を鑄る。叔向使ひして子產に書を詒(おく)りて曰く、「始め吾子に虞(のぞ)み有り、今は則ち已みぬ。昔先王は事を議して以て制し、刑辟を為らず。民の爭心有らんことを懼るればなり。猶ほ禁禦すべからず。是の故に之を閑(ふせ)ぐに義を以てし、之を糾すに政を以てし、之を行ふに禮を以てし、之を守るに信を以てし、之を奉ずるに仁を以てす。祿位を制為して、以て其の從ふを勸め、刑罰を嚴斷して、以て其の淫を威す。其の未だしきを懼る、故に之に誨ふるに忠を以てし、之を聳(すす)むるに行を以てし、之に教ふるに務を以てし、之を使ふに和を以てし、之に臨むに敬を以てし、之に蒞むに彊を以てし、之を斷ずるに剛を以てす。猶ほ聖哲の上、明察の官、忠信の長、慈惠の師を求む。民是に於いてか任使すべくして、禍亂を生ぜず。民辟有るを知れば、則ち上を忌まず。並びに爭心有りて、以て書に徵し、而して徼幸して以て之を成さん。為むべからず。
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荀子・宥坐篇孔子、魯の司寇(しこう)と為る。父子にして訟(うった)うる者有り。孔子之を拘(とら)え、三月別(わか)たず。其の父止(や)めんことを請う。孔子之を舎(ゆる)す。季孫之を聞き、説(よろこ)ばずして曰く、「是の老(ろう)や、予を欺く。予に語りて曰く、国家を為(おさ)むるには必ず孝を以てすと。今、一人を殺して不孝を戮(りく)せんとし、又之を舎す」と。冉子以て告ぐ。孔子慨然として歎じて曰く、「嗚呼、上之を失いて、下之を殺す。其れ可ならんや。其の民を教えずして、其の獄を聴くは、辜(つみ)なきを殺すなり。三軍大いに敗るるも、斬るべからず。獄犴(ごくかん)治まらざるも、刑すべからず。罪、民に在らざるが故なり。令を嫚(おこた)りて誅を謹(きび)しくするは、賊なり。今、生ずるや時有り、斂(あつ)むるや時無きは、暴なり。教えずして成功を責むるは、虐なり。此の三者を已(や)めて、然る後に刑即(つ)くべきなり。書に曰く、『義刑義殺、庸(もっ)て即(つ)くこと勿かれ、予維(こ)れ曰く未だ順事有らずと』と。教えを先にするを言うなり。故に先王は既に之に陳(の)ぶるに道を以てし、上、先ず之に服す。若し可ならざれば、賢を尚(たっと)びて以て之を綦(きわ)む。若し可ならざれば、不能を廃して以て之を単(つ)くす。綦(きわ)むること三年にして百姓、風に従う。邪民従わざれば、然る後に之を俟(ま)つに刑を以てすれば、則ち民、罪を知らん。詩に曰く、『尹氏大師、維(こ)れ周の氐(もと)、国の均(きん)を秉(と)り、四方是(こ)れ維(つな)ぐ。天子是れ庳(たす)け、民をして迷わざらしむ』と。是を以て威、厲(はげ)しくして試みず、刑、錯(お)きて用いず。此れの謂いなり。今の世は則ち然らず。其の教えを乱し、其の刑を繁くす。其の民迷惑して墮(お)つれば、則ち従って之を制す。是を以て刑弥(いよいよ)繁くして、邪勝たず。三尺の岸すら虚車(きょしゃ)登ること能わず。百仞の山も、負を任ずる車、登る。何ぞ則ち、陵遅(りょうち)なるが故なり。数仞の牆(かき)すら民踰(こ)えず。百仞の山も豎子(じゅし)馮(よ)りて游ぶは、陵遅なるが故なり。今の世、陵遅すること已(すで)に久し。而して能く民をして踰ゆること勿からしめんや。詩に曰く、『周道は砥(と)の如く、其の直きこと矢の如し。君子の履(ふ)む所、小人の視る所。眷焉(けんえん)として之を顧み、潸焉(さんえん)として涕(なみだ)を出だす』と。豈に哀しからずや」と。
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