孔子家語 / 正論解
楚靈王汰侈,右尹子革侍坐。左史倚相趨而過,王曰:「是良史也。子善視之,是能讀三墳五典,八索九丘。」對曰:「夫良史者,記君之過,揚君之善。而此子以潤辭為官,不可為良史。」曰:「臣又乃嘗聞焉。昔周穆王欲肆其心,將過行天下,使皆有車轍,並馬跡焉。祭公謀父作《祚昭》,以止王心。王是以獲殆於文官。臣聞其詩焉,而弗知。若問遠焉,其焉能知?」王曰:「子能乎?」對曰:「能。其詩曰:『祈昭之愔愔乎,式昭德音,思我王度,式如玉,式如金。刑民之力,而無有醉飽之心。』」靈王揖而入。饋不食,寢不寐,數日則固不能勝其情,以及於難。孔子讀其志曰:「古者有志,克己復禮為仁。信善哉。楚靈王若能如是,豈期辱於幹溪?子革之非左史,所以風也。稱詩以諫,順哉。」
新字:楚霊王汰侈,右尹子革侍坐。左史倚相趨而過,王曰:「是良史也。子善視之,是能読三墳五典,八索九丘。」対曰:「夫良史者,記君之過,揚君之善。而此子以潤辞為官,不可為良史。」曰:「臣又乃嘗聞焉。昔周穆王欲肆其心,将過行天下,使皆有車轍,並馬跡焉。祭公謀父作《祚昭》,以止王心。王是以獲殆於文官。臣聞其詩焉,而弗知。若問遠焉,其焉能知?」王曰:「子能乎?」対曰:「能。其詩曰:『祈昭之愔愔乎,式昭徳音,思我王度,式如玉,式如金。刑民之力,而無有酔飽之心。』」霊王揖而入。饋不食,寝不寐,数日則固不能勝其情,以及於難。孔子読其志曰:「古者有志,克己復礼為仁。信善哉。楚霊王若能如是,豈期辱於幹渓?子革之非左史,所以風也。称詩以諫,順哉。」
書き下し
楚の靈王汰侈(たいし)にして、右尹子革侍坐す。左史倚相趨りて過ぐ。王曰く、「是れ良史なり。子善く之を視よ。是れ能く三墳五典、八索九丘を讀む。」對えて曰く、「夫れ良史とは、君の過ちを記し、君の善を揚ぐ。而るに此の子は潤辭を以て官と為す、良史と為すべからず。」曰く、「臣又乃ち嘗て聞けり。昔周の穆王其の心を肆にせんと欲し、將に天下を過行し、皆をして車轍有らしめ、馬跡を並べしめんとす。祭公謀父《祚昭》を作りて、以て王の心を止む。王是を以て文官に殆きを獲たり。臣其の詩を聞けるも、知らず。若し遠きを問わば、其れ焉んぞ能く知らんや。」王曰く、「子能くするか。」對えて曰く、「能くす。其の詩に曰く、『祈昭の愔愔たるかな、式(も)て昭德の音、我が王度を思う、式て玉の如く、式て金の如し。民の力を刑(はか)りて、醉飽の心有る無し。』」靈王揖して入る。饋するも食らわず、寢ぬるも寐ねず、數日にして則ち固より其の情に勝つ能わず、以て難に及ぶ。孔子其の志を讀みて曰く、「古者に志有り、己に克ちて禮に復るを仁と為す、と。信に善いかな。楚の靈王若し能く是くの如くならば、豈に幹溪に辱めらるるを期せんや。子革の左史を非とするは、風する所以なり。詩を稱して以て諫むるは、順なるかな。」
現代語訳
楚の霊王は驕り高ぶって贅を尽くしていた。右尹の子革がそばに控えて座っていた。左史(記録官)の倚相が小走りに通り過ぎた。王は言った。「あれはすぐれた史官だ。お前もよく見ておくがよい。あの者は三墳・五典・八索・九丘(古の書物)をよく読みこなす。」子革は答えた。「すぐれた史官とは、君主の過ちを記録し、君主の善行を明らかにするものです。しかしあの者は美辞麗句を弄することを役目としているだけで、すぐれた史官とは言えません。」さらに言った。「私はまたこう聞いたことがあります。昔、周の穆王は自分の欲望のままに振る舞おうとし、天下をあまねく巡り歩いて、どこにも自分の車の轍と馬の足跡を残そうとしました。祭公謀父は『祈昭』の詩を作って、王の心を諫め止めました。王はそれによって危うく文官(の諌め)によって救われたのです。私はその詩を聞いたことはありますが、内容までは存じません。もし遠い昔のことを尋ねられたら、あの者にどうしてわかりましょうか。」王は言った。「お前はその詩を知っているか。」子革は答えた。「知っています。その詩にはこうあります。『祈昭の詩は穏やかで慎み深く、それによって明らかな徳の音を示す。我が王の度量を思えば、玉のようであり、金のようであってほしい。民の力を推し量り、酔い飽きるような贅沢の心を持たないでいただきたい。』」霊王は会釈をして中に入った。食事を勧められても食べず、寝床についても眠れず、数日のうちにその感情を抑えることができなくなり、ついに(乾谿での)災難に至った。孔子はその記録を読んで言った。「古人の言葉に、『己に克って礼に立ち返ることを仁とする』とある。まことに立派な言葉である。楚の霊王がもしこのようにできていたなら、どうして乾谿で辱めを受けることを招いただろうか。子革が左史(倚相)を否定したのは、諫めるためであった。詩を引いて諫めたのは、道理にかなったことである。」
解説

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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又喩ヘテ云ハ。賢君明主ハ忠臣ヲ信任シ。諫言ヲ用ル如クシヤ。漢ノ高祖カ諫ニ従フコト流ノ如ク。唐ノ太宗ノ魏徴カ苦諫ノ言ヲ用ヒアリシ類。ソノ如ク。正法ノ因縁アル者ハ必ス不邪見戒ニ随順スルシヤ。此ニ反シテ宿福ナキ者ハ。智者モ愚者モ。学者モ不学者モ仏アルコトヲ信セヌ。法アルコトヲ信セヌ。聖賢アルコトヲ信セヌ。神祇有コトヲ信セヌ。善悪報応有コトヲ信セヌシヤ。