説苑 / 立節
晉靈公暴,趙宣子驟諫,靈公患之,使鉏之彌賊之;鉏之彌晨往,則寢門闢矣,宣子盛服將朝,尚早,坐而假寢,之彌退,歎而言曰:「不忘恭敬,民之主也。賊民之主,不忠;棄君之命,不信。有一於此,不如死也。」遂觸槐而死。
新字:晋霊公暴,趙宣子驟諫,霊公患之,使鉏之弥賊之;鉏之弥晨往,則寝門闢矣,宣子盛服将朝,尚早,坐而仮寝,之弥退,嘆而言曰:「不忘恭敬,民之主也。賊民之主,不忠;棄君之命,不信。有一於此,不如死也。」遂触槐而死。
書き下し
晋の霊公暴なり。趙宣子驟しば諫む。霊公之を患い、鉏之弥をして之を賊わしむ。鉏之弥晨に往くに、則ち寝門闢けり。宣子盛服して将に朝せんとし、尚早ければ、坐して仮寝す。之弥退きて、歎じて言いて曰わく、「恭敬を忘れざるは、民の主なり。民の主を賊うは、不忠なり。君の命を棄つるは、不信なり。此に一有らば、死に如かざるなり」と。遂に槐に触れて死す。
現代語訳
晋の霊公は暴虐な君主であった。趙宣子はしばしば諫言した。霊公はこれを疎ましく思い、鉏之弥に命じて宣子を暗殺させようとした。鉏之弥が早朝に赴くと、寝室の門はすでに開いていた。宣子は正装して朝廷に出仕しようとしていたが、まだ早い時間だったので、座ったまま仮眠をとっていた。鉏之弥はそっと退き、嘆いて言った。「恭しさと敬いを忘れないこの人は、民の主というべき人物だ。民の主を殺害するのは不忠である。しかし君主の命令を放棄するのも不信である。このどちらかに陥るくらいなら、死んだ方がましだ」と。そして槐の木に頭からぶつかって死んだ。
解説
暗殺者である鉏之弥は、標的である趙宣子の姿――早朝から正装し、恭敬の姿勢を崩さないまま仮眠する様――を目にしただけで、この人物を殺すことの不忠と、君命に背くことの不信という、両立し得ない二つの罪の板挟みに陥る。彼が選んだのは、どちらの罪も犯さずに自ら命を絶つという第三の道であった。この逸話が突きつけるのは、命令の遂行者もまた一人の道徳的主体であり、上からの命令が明らかに不義である時、単純な服従でも単純な拒否でもない、より困難な選択を迫られるという普遍的なジレンマである。組織の指示と自らの良心が衝突する場面で、鉏之弥の苦悩は今も重く響く。

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良心命令葛藤
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国語・晋語五霊公虐なり。趙宣子驟(しばしば)諫む。公之を患え、鉏麑(しょげい)をして之を賊せしむ。晨(あした)に往けば、則ち寝門辟(ひら)けり。盛服して将に朝せんとし、早くして仮寐(かび)す。麑退き、歎じて言いて曰く、「趙孟は敬なるかな。夫れ恭敬を忘れざるは、社稷の鎮なり。国の鎮を賊するは不忠、命を受けて之を廃するは不信、一名を此に享(う)けんよりは、死するに如かず」と。庭の槐(えんじゅ)に触れて死す。霊公将に趙盾(ちょうとん)を殺さんとして、克(よ)くせず。趙穿(ちょうせん)公を桃園に攻め、公子黒臀(こくでん)を逆(むか)えて之を立つ、実に成公為り。
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呂氏春秋・過理②晉の靈公は無道なり。上從り人に彈きて其の丸を避くるを觀、宰人をして熊蹯を臑しめて熟せず、之を殺して、婦人をして載せて朝を過ぎしめ、以て威を示すは、不適なり。趙盾驟々諫むれども聽かず、公之を惡み、乃ち沮麛を使う。沮麛、之を見、賊するに忍びず。曰く、「恭敬を忘れざるは、民の主なり。民の主を賊するは不忠なり。君の命を棄つるは不信なり、此に一あるは、死するに若かず。」乃ち廷の槐に觸して死す。
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説苑・立節斉の崔杼荘公を弑す。邢蒯瞶晋に使いして反る。其の僕曰わく、「崔杼荘公を弑せり、子将に奚くにか如かんとす」と。邢蒯瞶曰わく、「之を駆れ、将に入りて死して君に報いん」と。其の僕曰わく、「君の無道なるや、四鄰の諸侯聞かざる莫し。夫子を以て之に死するは亦難からずや」と。邢蒯瞶曰わく、「善く能く言えり。然れども亦晩し。子早く我に言わば、我能く之を諫めん。諫めて聴かれずんば我能く去らん。今既に諫めず又去らず。吾聞く、其の禄を食む者は其の事に死すと。吾既に乱君の禄を食めり、又安んぞ君を治めて之に死するを得んや」と。遂に車を駆りて死に入る。其の僕曰わく、「人乱君有りて、人猶お之に死す。我治長有り、死する毋かる可けんや」と。乃ち轡を結びて車上に自刎す。君子之を聞きて曰わく、「邢蒯瞶節を守り義に死すと謂う可し。死は人の難んずる所なり。僕夫の死するや、未だ義に合う能わずと雖も、然れども亦志有るの意なり。詩に云う、『夙夜懈らず、以て一人に事う』と、邢生の謂いなり。孟子曰わく、『勇士は其の元を喪うを忘れず』と、僕夫の謂いなり」と。
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説苑・立節晋の驪姫太子申生を献公に譖す。献公将に之を殺さんとす。公子重耳申生に謂いて曰わく、「此を為す者は子の罪に非ざるなり、子胡ぞ辞を進めざる、之を辞せば必ず罪を免れん」と。申生曰わく、「不可なり。我之を辞せば、驪姫必ず罪有らん。吾が君老いたり、驪姫微くんば寝ねて席に安んぜず、食して味を甘しとせず、如何ぞ吾が君をして恨みを以て終わらしめんや」と。重耳曰わく、「辞せずんば則ち速やかに去るに若かず」と。申生曰わく、「不可なり。去りて此を免るるは、是れ吾が君を悪しむなり。夫れ父の過を彰らかにして美を諸侯に取るは、孰か肯えて之を納れんや。入りては宗に困しみ、出でては逃に困しむ、是れ吾が悪を重ぬるなり。吾之を聞く、忠は君を暴かず、智は悪を重ねず、勇は死を逃れずと。是くの如き者は、吾身を以て之に当たらん」と。遂に剣に伏して死す。君子之を聞きて曰わく、「天命なるかな世子」と。詩に曰わく、「萋として斐たり、是の貝錦を成す。彼の人を譖る者、亦已に太甚し」と。
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史記 晋世家晋趙盾をして車八百乗を以て周の乱を平らげて匡王を立てしむ。是の年、楚の荘王初めて即位す。十二年、斉人其の君懿公を弑す。十四年、霊公壮にして侈り、厚く斂めて以て牆に彫る。台上より人を弾き、其の丸を避くるを観る。宰夫熊蹯を胹(に)て熟せず。霊公怒り、宰夫を殺し、婦人をして其の尸を持ちて出でて之を棄てしむ。朝を過ぐ。趙盾・隨会前に数々諫むるも、聴かず。已にして又死人の手を見、二人前みて諫む。隨会先づ諫むるも、聴かず。霊公之を患ひ、鉏麑をして趙盾を刺さしむ。盾の閨門開き、居処節あり。鉏麑退きて嘆じて曰く、「忠臣を殺すも、君命を棄つるも、罪は一なり」と。遂に樹に触れて死す。初め、盾常に首山に田し、桑下に餓人有るを見る。餓人は、示瞇明なり。盾之に食を与ふ。其の半ばを食らふ。其の故を問ふ。曰く、「宦すること三年、未だ母の存するや不やを知らず。願はくは母に遺らん」と。盾之を義とし、益々之に飯肉を与ふ。已にして晋の宰夫と為る。趙盾復た知らざるなり。九月、晋の霊公趙盾に酒を飲ましめ、甲を伏せて将に盾を攻めんとす。公の宰示瞇明之を知り、盾酔ひて起つこと能はざるを恐れ、進みて曰く、「君臣に賜ふに、觴三たび行はば以て罷むべし」と。以て趙盾を去らしめ、先んぜしめて、難に及ぶこと毋からしめんと欲す。盾既に去る。霊公の伏士未だ会せず。先づ齧狗の敖と名づくるを縦つ。明盾の為に狗を搏ち殺す。盾曰く、「人を棄てて狗を用ふ。猛しと雖も何をか為さん」と。然れども明の陰徳を為すを知らず。已にして霊公伏士を縦ちて出でて趙盾を逐はしむ。示瞇明反って霊公の伏士を撃つ。伏士進むこと能はず。而して竟に盾を脱す。盾其の故を問ふ。曰く、「我は桑下の餓人なり」と。其の名を問ふも、告げず。明も亦た因りて亡げ去る。盾遂に奔るも、未だ晋の境を出でず。乙丑、盾の昆弟の将軍趙穿霊公を桃園に襲殺して趙盾を迎ふ。趙盾素より貴く、民の和を得たり。霊公は少くして侈り、民附かず。故に弑を為すこと易し。盾位に復す。
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『春秋左氏伝』宣公二年 翳桑の餓人秋、九月、晉侯趙盾に酒を飲ましめ、甲を伏せて將に之を攻めんとす。其の右提彌明之を知り、趨り登りて曰く、「臣君の宴に侍して、三爵を過ぐるは、禮に非ざるなり」と。遂に扶けて以って下る。公夫(か)の獒(がう)を嗾(けしか)く。明搏ちて之を殺す。盾曰く、「人を棄てて犬を用ゐる、猛しと雖も何をか為さん」と。鬥ひ且つ出づ。提彌明之に死す。初め、宣子首山に田し、翳桑に舍り、靈輒の餓うるを見る。其の病を問ふ。曰く、「食はざること三日なり」と。之に食はしむ。其の半ばを舍く。之を問ふ。曰く、「宦すること三年なり、未だ母の存否を知らず。今近し、請ふ以って之に遺(おく)らん」と。之を盡くさしめて、之が為に簞食と肉とを為(つく)り、諸を橐(ふくろ)に寘きて以って之に與ふ。既にして與(あづか)りて公の介と為る。戟を倒にして以って公の徒を禦ぎて、之を免れしむ。何の故かを問ふ。對へて曰く、「翳桑の餓人なり」と。其の名居を問ふ。告げずして退く。遂に自ら亡ぐるなり。乙丑、趙穿靈公を桃園に攻む。宣子未だ山を出でずして復る。大史書して曰く、「趙盾其の君を弒す」と。